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西暦2022年平泉柳之御所銀将出土駒は取捨将棋主張(長さん)

既に述べたように、岩手県平泉町柳之御所遺跡の
西暦2022年前後の発掘で、成「ケ」崩し金の
銀将駒が一枚出土している。
 そのとき述べたが、成文字「ケ」の左に、駒師
の指導者と疑われる者による「ケを書け」書込み
が有る。また、以前に述べたようにこの駒の成駒
の「金」崩しの「ケ」書体は、西暦1990年前
後の第28次調査で出土した、成「ケ」歩兵駒と
全く同一である。
 また、本ブログでは述べてい無かったが、駒の
大きさは、長さが銀将が2.4センチ、歩兵が
2.9センチと、今回の銀将が0.5センチ「寸
詰まり」のほかは、

お互いに、大きさはぴたりと同じの規格品

に見える。
 他方、解明:将棋伝来の「謎」で、松岡信行氏
は、西暦2014年前後に、「平安末に小将棋は、
木村義徳氏示唆のように持駒将棋であった」との
旨表明している。が、今回の出土駒は、前記2つ
の将棋駒が、銀将は保管の都合による、上下の切
り取りだったとして、状況から柳之御所で指す小
将棋は、全部駒の外見かつ成金の「ケ」書体が、
同一であり、よって取捨将棋用に適しており、

松岡氏の論にとっては、否定的史料と解釈できる

と言えるのではないかという事である。
 さて、本ブログの管理人はうっかりしていたの
だが、この銀将駒の成の書体の「ケ」が1990
年出土の歩兵の成「ケ」書体と、ほぼ同一である
ばかりか、付記された「ケ」と同じである点が、
とりわけ重要である。
 なぜなら、1セットの将棋駒に関して、

「金将と玉将の裏以外であるから、同じ書体の
『ケ』を書け」と、指示していると、このケース
は取れる

点からみて、成駒名を、どう書くのかという点に
関して、柳之御所お抱えと解釈出来る、駒師の
親方と疑われる人物は、

習慣で、全部同じ書体を日常使う癖が有るらしい
と推定出来る

からである。
 つまり、この時点の小将棋は、少なくとも柳之
御所で指す場合、対局中棋士は、裏返した駒から、
オモテ駒名を推定する手掛りを、全く考えなくて
も良い、「取捨て小将棋」を指していたと考える
のが自然だからである。単に出土した歩兵と銀将
の成の「ケ」書体が近似しているばかりで無く、

将棋の1セット全部で、金成だから「ケ」と書く
と指示しているように見える「付記」こそが大事

だったと、少なくとも本ブログの管理人は、今の
時点で考えているという意味である。
 いままで、平安時代の小将棋の将棋駒が出土し
た際、思えば

これほど成字体が整った将棋駒の出土が無かった

ように、本ブログの管理人は認識している。
 字体の揃った、比較的上流階級で指す将棋は、
平安末には取捨ての小将棋だった可能性が高い。
簡単に言えば、今の日本将棋よりも国際標準に
未だ、近かったのではないか。以上の説にとり、
むしろこの史料は有利で、西暦2014年頃当時
の松岡信行説にとっては、やや不利な史料が、
西暦2022年前後に出土したと解釈すべきと私
は考える。つまり、この将棋駒史料は、いっけん
してよりも、相当に重要な情報を含んでいたと私
は今では疑っているという事である。(2024/04/23)

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