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福岡県福岡市博多遺跡中ノ子家地点で弥生前期後半泰山甕片(長さん)

今回は福岡県でレコードになると見られる
弥生前期後半(紀元前3世紀)成立とされ
る土器甕の破片に、奉山と書かれている
ように見える、暗い模様があるとの旨の
紹介である。大陸からの中国人の渡来が、
秦の始皇帝の頃の日本の山岳部に存在する
と期待された鉱産資源の探査目的であると
見られる事を示唆する、重要遺物であると
私見する。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
132290_1_博多192.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
福岡市埋蔵文化財調査報告書第1480集
博多192、2023年、福岡市教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録によると遺跡の場所
は、福岡県福岡市博多区冷泉町68番1、
75番3・4、76番~79番、114番、
114番2。遺物が出土したのは、西暦
2017~18年前後の事のようである。
なお表題に書いた中ノ子家とは、博多人形
制作/販売の老舗の店との事である。遺物
は、従って新しい時代の物品が、この地点
では多く、出土しているようである。
 遺物の成立年代は、同じく抄録に、「甕
の破片であり、弥生時代前期後半である」
との旨が記載されている。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第14
”古代・古代以前・特殊遺物”の下から2
段目中央に在り、スケッチ図83に有る、
遺物番号第232番の土器片との旨、ナン
バリングされていて、土器の破片のようで
ある。

博多192泰山.gif

 上図のように、左側に縦に、汚れが多い
ものの、整った字で「奉山」等に私には見
える、暗い模様が有るように思える。
 秦の始皇帝の時代に対匈奴戦争の武器に
なる原料調達等の為、日本の山間部例えば
阿蘇山等に、鉱産資源の探査をしに来訪し
たのが、中国からの渡来の端緒だった事を、
この博多の港の遺跡の遺物は示唆している
のではないかと、従来の発掘結果から継続
して、私には疑われる。紀元前3世紀であ
るというのが間違い無ければ、前記系統の
墨書のレコードでは無かろうか。(2023/09/18)

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