SSブログ

閑院光格天皇有識故実将棋情報不伝達は血族断絶で無い(長さん)

本ブログでは「伝来元の原始平安小将棋に
酔象があり伝来時削除や、玉駒は元々玉将。
9升目将棋は大江匡房考案」等の情報が、
後奈良天皇~後陽成天皇~後桃園天皇に
有り、閑院宮の光格天皇~(将棋史本の
松岡和彦氏の「解明:将棋伝来の『謎』」
によると)平成天皇に無いのは、

皇統が、後桃園天皇のところで血族断絶し
た為の、重要度二軍級情報の継承の困難性

であると、以前説明している。有識故実だ
が高々遊戯であるし、名人等として大橋家
や伊藤家のような将棋の家の者が存在する
状況で、ルール改変や統一性の保持に、そ
の当時の天皇の政治力が、絡むほどのもの
でもないと、江戸中期18世紀以降は考え
られたからだろうと見ていたのである。
 しかるに、江戸時代史を概略調べている
うちに、相続が元の本家の断絶で、閑院宮
という、断絶に備えた、従来の分家に移る
という血縁の遠さだけでなく、

宝暦・明和事件も絡んでいる

が関連性が考察されてい無いという、従来
の本ブログの論の、不完全性に気がついた。
 ほぼwikipediaやネットの個人
ブログ記事の、現時点受け売り程度の知識
なのであるが。当時は当然かもしれないが、

徳川家重政権及び、徳川家治政権の方が、
皇軍側に比べて、軍事的に圧倒的に優勢

で、「倒幕の為の将棋等の武芸」は、隠密
裏に徹底的に弾圧されただろうと、少なく
とも状況推定は、出来るように思われる。
 つまり、将棋を楽しむ将軍としてばかり
ではなく、一例群馬県に自分を討つ目的で、
武芸の上達を繰り返す勢力があると見れば、

有識故実としての将棋のルールの最終決定
責任者の権限を、皇族から自分に移動させ
るような行為をする者としても、徳川家治
は存在した

だろうと、推定出来るのではないかという
意味である。
 おまけに、閑院宮は幕府の政策が有った
からこそ、後桃園天皇に後継が無ければ、
嫡男で無くとも天皇家となれる権利が、
転がり込んできたという恩義もあり、有識
故実としての日本の将棋の、統一性保持等
の権利を、徳川家治政権側へ完全移行させ
る事位は、

軍最高権力は永久に徳川家に在ると認める
一つの証拠として、相手に与えたと見るの
が自然かつ当然

だということである。
 光格天皇は、将棋伝来の経緯や原型、対
外国との対抗のために、大江正房が標準化
をした事位は知っていたのかもしれないが。
積極的に継承し無いうちに、遅くとも
孝明天皇までには庶民と同様、松岡和彦氏
が「解明:将棋伝来の『謎』」で実証説明
しておられるように、遊戯として皇族は、
日本将棋を楽しむだけに、変化してしまっ
たのであろう。
 現在でも天童市は近代に入って本格的に
盛んになった将棋駒作りが行われているが。
江戸後半の藩主は織田氏で、明和事件と関
連していると聞く。鎌倉時代前期の
後鳥羽上皇による乱を、徳川家治が知ら無
いとも思えないので。家重の時代の
宝暦事件と自分の時代の明和事件、皇統跡
継ぎ消失の中で、江戸幕府の働きかけで成
立した、閑院宮への継承という流れの中で、
当時の皇軍に対する相対的軍事力の圧倒的
優位性を使って幕府の体制維持の為に、少
なくとも後陽成天皇が持っていたとみられ
る将棋史情報を、完全に皇族には無用のも
のとして、結局地上から消失させる原因に
なったと見ても、極端なおかしさは無いよ
うに、私には現時点で疑われるように、
なって来たのである。(2023/09/09)

nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー