SSブログ

小山若犬丸は小田氏の乱以降福島県菊田荘に居す研究(長さん)

既に本ブログでは小山若犬丸が西暦1396~
7年、ないし、その少し前に、大将棋の史料
を作成しているかもしれないと、したうえで、
西暦1387年前後の茨城県笠間市付近の
難台山の小田氏の乱以降は、福島県いわき市
の菊田荘に潜伏していたので、そこで作成し、
その地に埋葬した可能性があるとしている。

どこを探せば、そんな史料が出るのか、あた
りを付けるのに、場所の情報が要ると見た

のである。しかし私が記載した時点で、その
「菊田荘に小山若犬丸が居る」という情報が
成書のうる覚え記載であった為、以下の成書
を再度チェックした。

結果中世東国史研究家、千葉大学名誉教授の
佐藤博信氏の研究を、「鎌倉幕府東国支配の
研究」等で江田郁夫氏が紹介している比較的
近年の説

である事が判った。
 「鎌倉幕府東国支配の研究」(高志書院/
江田郁夫/2008年)、84ページの記載
によると、それ以前には、鎌倉大草紙により、
渡辺世祐氏が、福島県田村市に小山若犬丸は
最期の福島県会津若松市までの移動以前は居
たとされていたとの事である。福島県田村市
が福島県いわき市に変わったのは、佐藤博信
氏からのようである。
 江田郁夫氏は、田村市よりいわき市の方が
可能性が高い理由として、西暦1404年に
いわき市の菊田荘を、鎌倉府の御料所として
いる「仰々しさ」をあげているようである。
 佐藤博信氏は、西暦1386年の若犬丸小
山城占拠以前の居所は、小山市付近、難台山
合戦以降が福島県いわき市菊田荘と、してい
るとの前記紹介成書の記載になっている。
 それに対して栃木県宇都宮市の元栃木県立
博物館の江田郁夫氏は、南北朝時代の菊田荘
の豪族が、小山氏一族の藤井氏・上遠野氏で
ある事等から、小田氏難台山の城の合戦以前
も、そしてそれ以降も小山若犬丸は、福島県
いわき市の菊田荘に居る事が、多かっただろ
うとしている。
 以上の結果から、近年は小田氏の難台山の
乱以降は、小山若犬丸の居所は、福島県田村
市ではなく、福島県いわき市遠野地区の何処
かであるとする説が、出てきている事は、前
記成書を信じる限りやはり確かなようである。
(2023/09/22)

nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 10

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。