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水無瀬駒の由緒の情報が謎(長さん)

水無瀬兼成に関して、水無瀬駒を作成し始めた
経緯についての伝説の要約と見られるものが、
平凡社の”よみがえる中世”シリーズの2、
”本能寺から天下一へ大坂”(1989)に載っ
ている。
 が、元の伝説がおかしいのか、換算のときの、
紹介者の計算ミスか、よく判らないが。年号が
西暦・元号共に、10年おかしい。紹介箇所は、
ずばり、”水無瀬駒”と表題の付いた、第5章
都市のなかの職人・商人の174ページである。
”正親町天皇の勅諚を受けて水無瀬兼成が将棋
の駒作りに揮毫したのが、82歳で1595年
だ”と言うのだが。西暦1593年に
正親町天皇は崩御している。1595年は確か
に文禄4年で合っているが、豊臣秀次が切腹し
た頃なので、水無瀬兼成は、その前に将棋駒を
作成している。
 増川宏一氏の将棋の歴史にも”水無瀬兼成の
将棋駒の字書きの開始は、西暦1590年頃か
ら”との旨出ており、ほかならぬ、よみがえる
中世2”本能寺から天下一へ大坂”にも増川氏
の、今述べた研究が、西暦1590年の年号と
共に、同書の175ページに引用されている。
 西暦1585年で天正13年。正親町天皇の
即位最後の年頃に水無瀬兼成が、72歳の時、
将棋駒書きを開始したというのが、ひょっとし
て、正しいのではないかと思うのだが。今の所
正しい情報が私の所には無い。水無瀬宮に行く
と多分、そこでは確実に今の情報は、手に入り
そうな気がする。後で別のサイト等で情報をチェッ
クしてみようかと思う。(2020/10/14)

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middrinn

「その前に将棋駒を作成している」ということですから、
成り立たないかもしれませんけど、勅諚から作成に取り
掛かるまでに時間があったのかも(^_^;) 勅撰集である
『後拾遺和歌集』は撰集下命から何と10年も経ってから
撰者の藤原通俊は資料収集を始めてたりします(^_^;)
by middrinn (2020-10-14 08:47) 

df233285

御指摘ごもっともです。(長さん)

将棋駒は、五角形に木を成形する人間と、駒書きは、
草創期から別人だと私は見ています。「木地師として
(水無瀬駒に)相応しい技能を持つ適切な人材を探す為
に、数年かかった」と正親町上皇へ、水無瀬兼成が
1590年に言い訳しても、後陽成天皇へ贈答する将棋具?
等と、いっしょの上奏なら通るかと、私は思います。
by df233285 (2020-10-15 07:31) 

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