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新潟県新発田市住吉遺跡で角行底記載の土器出土(長さん)

今回も、奈良文化財研究所の発掘報告書データ
ベース、全国遺跡報告総覧に収録されている、
発掘報告書の中に、将棋の駒名を書いた遺物が
有るという話題である。発掘報告書が2019
年発行の為、本ブログで、初めての指摘だとみ
られる。
 報告書の表題は新発田市埋蔵文化財調査報告
第58”住吉遺跡発掘調査報告書”、2019、
新発田市教育委員会である。新潟県の北東部、
山形県に近い所である。
全国遺跡報告総覧に収録されている発掘報告書
のpdfファイル名は、以下の通りである。
69863_1_住吉遺跡発掘調査報告書
 発掘は西暦2012年から2013年の間に
行われたとある。
そこの後ろの方のページの、図版35の真ん中
へんに、カワラケのような皿状の陶器だと思う
が、その底に、”角行”と書いてあるように読
める。発掘報告書の225ページには、
”土師質土器、坏”と記載されている。同じこ
とか。
 更に成立は、C14分析等から14世紀初頃
を中心とした、中世ではないかと取れる説明が、
同じく前記の、発掘報告書に有る。

新潟県住吉角行.gif

本ブログでは、角行駒の成立そのものについて
は、西暦1230年~1260年の間と今の所
している。将棋駒としての角行の、現在の初出
は、栃木県小山市神鳥谷曲輪の、
成り一文字金角行駒で、西暦1380年前後と
言われている。小山市の出土駒については、
鎌倉時代までは、恐らく遡れないであろう。
 発掘報告書によると、最も古く見積もって、
出土品の平安時代末との事である。巾が広すぎ
るが少なくとも日本将棋の角行はまだ存在せず、

大将棋ないし中将棋の駒名を書いたと解釈

は出来よう。
 ただし、上図のように、行がズレていて、

字が淡いので、角行と確定困難

と見られる。

写真にたまたま写った、幻影

の疑いも有る。発掘報告書に、”この土器には
文字が見える”との旨の記載が、特段見当たら
ないからである。
 なお歴史的に現地は、鎌倉時代に荘園内、
室町時代後期に、武家で加地荘の地頭職を務め
た加地氏の城があったとの事である。
 繰り返すと情報が淡いので重要性は劣るが。
栃木県小山市の角行駒や、石川県堅田B遺跡の
龍馬駒のカデゴリーとして考察すべき、本ブロ
グの中心的課題の物品の出土である。つまり、

このブログの、メイン分野の遺物の一つとみな
すべき重要情報

であると考える。周辺に、本物の木製将棋駒が
眠っていて、既に発見ないし、近未来に発見さ
れる事が、当然だが大いに期待される。
(2020/12/28)

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