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岩手県洋野町宿戸遺跡で縄文後期奔馬墨書土器(長さん)

以前、青森県の縄文時代のものとされる遺跡で、
縄文後期の土器に「奉山」と墨書された遺物を
報告した。今回は、三陸リアス式海岸の岩手県
の太平洋岸で、同じく縄文時代後期とされる
土器に、漢字で奉馬と書かれているように、私
には見える例について報告し、本州全体で状況
が同じであった疑いがあることについて述べる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベースの、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
90838_3_宿戸遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書
第726集宿戸遺跡発掘調査報告書、2021年、
国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所・
(公財)岩手県文化振興事業団。
 なお、発掘報告書本文は第1pdfである、
90838_1_宿戸遺跡発掘調査報告書.pdf
に記載されている。第2pdfは、遺物スケッ
チ図集である。
 遺跡の位置は、発掘報告書冒頭の例言による
と、岩手県九戸郡洋野町種市第6地割字宿戸。
遺物が出土したのは、西暦2016年前後の事
のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第130ペー
ジ付近のリストにより、縄文時代後期の半ばな
いし後半との旨、読取れるようである。
 遺物の写真は、前記発掘報告書第3写真図版
pdfの、写真図版第159:”北5Dグリッ
ド出土土器”の左上に在り、遺物番号で第
183番との旨、ナンバリングされている。
急須のようなちょっと変わった形の土器のよう
である。

宿戸奔馬.gif

上図のように、急須の注ぎ口の左側に、縦に、
漢字で奉馬と読めるような、煤模様が在る。
 土器に縄文が在るが、形が変わっている。
岩手県の、縄文時代

晩期土器の混入と考え、該遺跡の西側の山に、
鉱物を採りに来た、漢王朝からの帰化人が書い
た文字だ

とすれば、説明が絶対に不可能とまでは言えな
い例ではないかと、本ブログの管理人は疑う。
 青森県青森市米山遺跡の縄文期泰山墨書と、
同系統のものであり、鉱山からの鉄鉱石等の採
掘等と、移動用の馬の供給が、西暦紀元前後に、
中国漢王朝の帰化人により本州全域で、いつも
ペアーで行われた疑いが有ることを示している
のではないかと私見する。(2022/06/27)

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