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大阪府八尾市木の本遺跡で弥生末山泰墨書土器(長さん)

今回は表題の大阪府八尾市の遺跡で、弥生末
成立とみられる小型鉢土器に、漢字で「山奉」
と書かれているように見える模様があり、
弥生時代後期から断続的に大阪府・兵庫県に
渡来人が上陸して、日本各地の鉱脈探索を、
手がけた事を示唆しているとの、本ブログの
従来よりの考えを、更に補強するとみられる
遺物が、出土していると取れるの旨の紹介で
ある。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
4761_1_八尾市埋蔵文化財発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
八尾市文化財調査研究会報告34;
Ⅰ久宝寺遺跡(第10次調査)・
Ⅱ久宝寺遺跡(第11次調査)・
Ⅲ久宝寺遺跡(第12次調査)・
Ⅳ恩智遺跡(第5次調査)・
Ⅴ恩智遺跡(第6次調査)・
Ⅵ中田遺跡(第7次調査)・
Ⅶ中田遺跡(第9次調査)・
Ⅷ水越遺跡(第4次調査)・
Ⅸ萱振遺跡(第11次調査)・
Ⅹ大竹西遺跡(第2次調査)・
ⅩⅠ東郷遺跡(第38次調査)・
ⅩⅡ竜華寺跡(第2次調査)・
ⅩⅢ跡部遺跡(第6次調査)・
ⅩⅣ木の本遺跡(第5次調査)、1992年、
財団法人八尾市文化財調査研究会。
 遺物はこのうち最後の木の本遺跡で出土
したようである。
 発掘報告書第142ページ付近の木の本
遺跡(第5次調査)の例言により遺跡の場所
は、大阪府八尾市南木の本3丁目40・70~
74と4丁目22~30。遺物が出土したの
は、西暦1991年前後のことのようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第147ペー
ジ付近の記載により、遺物は第3トレンチで
出土し、弥生時代末の小型鉢と見られている
ように読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書木の本遺跡(第
5次調査)編の写真図版第4の下から2段目
右に在り、第3トレンチ包含層の出土物と注
記されているとみられ、遺物番号木の本遺跡
の土器の第18番との旨、ナンバリングされ
ているようである。私にははっきりしないが、
壷か甕の下部の破片のようにも見える。

木の本山泰.gif

 上図のように写真で左に寄って縦に、明快
に漢字で「山奉」と読めるような模様が在り、
渡来人が3世紀に道教信仰ないし、大阪府・
兵庫県を起点に日本各地で鉱山探索を繰り返
すに際しての、成功祈願、祭祀用に墨書きし
たように見える物品とも疑われると私見する。
本ブログの過去、複数回の主張を繰り返すも
のである。(2023/05/22)

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