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シャンチーやチャンギでは、何故成りを駒を裏返して表さないのか(長さん)

目下、駒を裏返して成りを表す、チェス・将棋・象棋型ゲームは、日本の
将棋と、タイのマークルックだけである。中国のシャンチーや、朝鮮半島で
指されているチャンギは、駒の形が、厚みの有るコインや、それを八角形に
少し変更したものなので、本来なら成りを裏返して表現する事も、原理的
には可能である。しかし、そういう例は、タイのマークルックの兵駒である
”貝”以外には無い。これは何故なのか。
以下回答となる私見を、まずは何時ものように書く。
 たとえ、厚みの有るコイン型であっても、中国のシャンチーは、本質的に
”具象的な立体駒と同じ物体または人である”と見なされているためである。

つまり、駒を裏返すと”昇格した”というよりは、”攻撃されてその駒は死
んだ”と、中国人等には、今もイメージされるのであろう。
それに対して、日本の将棋の五角形駒は、元々本来それがあるべき道具の、
単なる代用品だったという本質的性格が有るため、その中国人の感覚が無い

からだと私は考える。本来日本の将棋駒は、具象的な菩薩立像のような姿の、
玉、純金、銀でできた玉将、金将、銀将だった。しかし、”木の五角形駒を、
大多数の指し手には金が無くて、そんな高価な代物は入手できないので、
しかたなく使用している”という意識が、西暦1000年頃の将棋棋士に
は有った。その”常識的意識”が存続した為、代用品ならルールの表現が、
できる事が第一なので、ひっくり返しても死では無くて、昇格を表すとして
よいという感覚として、今も我々日本の将棋文化には、残っているという事
である。従って、この日本人の持つ将棋駒感覚は、将棋が伝来した頃の記憶
を留める、重要な情報の残影と、私は当然見る。
 それに対して、特に中国のシャンチーでは、デフォルメされていても、シ
ャンチーの駒は、実際の人物・兵器を指している。そのため、ひっくり返せ
ば降参が、ただちにイメージされるのであろう。よって、我々の将棋に有っ
て、中国や朝鮮半島の象棋に無い”ひっくり返して成りを表す”という習慣
は、日本の将棋駒は本来実は、絢爛豪華な立体駒だったという情報を、淡く
残しているのではないかと思う。この考えは現在の遊戯史界で、私以外が主
張している例を知らない。が万が一正しいとしたら、表題の成りの表現方法
は、世界にほとんど類例の無い、相当に驚くべき遊戯の歴史の痕跡だと、私
には思える。
 なお、前にも述べたが、タイのマークルックの兵駒の表現は、恐らく戦国
時代末に、日本人街で指された日本将棋を、タイ人が見て、模倣したのだと、
私は考える。つまり、その時代までには、タイのマークルックの兵駒は、貝
になっていたのだろう。貝なら兵隊と違い、ひっくり返したとしても、やっ
つけられて、死んだとのイメージが、起こりにくかった。そのため便利さを、
タイ人は感じて、まねたのではないだろうか。なおタイ人が、日本の戦国時
代の時点で、マークルックのルールの多くが、自分達の先祖の大部分が、日
本の平安時代後期に住んで居た、中国雲南省の大理国から来たと、思ってい
た可能性はあるのかもしれない。が戦国時代に、日本の将棋が大理国から来
た事を、タイの日本人街の日本人の何者かが知っていて、その事をタイ人と
の間で、話題にした事があったのかどうかについては、今の所定かではない。
なお原始平安小将棋と実質一緒の、大理国将棋に於ける成り表現は、立体駒
の、回り将棋方式の交換だったと、今の所私は考えている。

つまり、今の所、”歩兵のと金”表現と、”ピアのピアガイ”表現の一致は、
”偶然の合流一体化”だった可能性が高いと、考えるしか無い。

 以上まとめると、中国人や韓国人が、日本の将棋駒の成りの表現方法を、
真似ないのは、本来の立体駒と五角形駒に、中間型の恐らく一切存在しない、
日本の将棋駒とは違って、彼らのゲームの駒が、本来の立体駒から、連続的
に抽象的な形に変化した事を、裏付けているのだと私は思う。(2017/07/10)

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