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インド人はプトレマイオス書を思想理由で嫌ったか(長さん)

本ブログでは、プトレマイオスの著作である
アルマゲストがインドの中世、取り入れられ
なかったのは、導円、エカント、周天円等と
いった概念がインドでは、プトレマイオスが
頭の中って作った空想の”思想”であると、
インド人には見なされたからだという解釈を
取っている。今述べた否定的な言い回しの意
味での”思想”を、古代インド人は価値の少
ないものと見ているという意味である。この
仮定は、インド2人制古チャトランガでは、

将棋の馬駒が桂馬が本来で、八方桂動きは、
馬は惑星だという思想だとインド人は見て
これを嫌ったからだ

というインドチャトランガの原始的なルール
の推定の理屈を導くのに、ほぼ絶対に必要で
ある。今回は、古代インド人が、そのように
アルマゲストを見るという事に関して、

尤もらしさがあるのかどうかを問題にする。

回答を書く。
尤もらしいとみられる。インドでも、暦の
日数を決めるのが大切で、それにはインド暦
だと、月の黄経の12度以下の概ね、一桁目
の数値及び小数点以下の計算をする必要があ
る。が、プトレマイオスの月の運動論では
出差項を、1/2朔望月周期(14.765
日)の関数の当てはめとしている。が、出差
の周期は本当は、2朔望月-近点月(31日
強)であるから全然違う。

アルマゲストの月の運動論は、概ね頭の中だ
けに存在する思想だと、インド人に見られて
も当然

と言えるものである。では、以下に説明を開
始する。
 先行文献として、プトレマイオスのアルマ
ゲストが、インドで18世紀まで取り入れら
れなかった理由を考察したものとして、次の
ものがある。
”アラビア語文化とサンスクリット文化との
交流に関する一考察”楠葉隆徳、大坂経済大
学論集、第56巻第6号(2006年3月)
 上の論文は、web上に公開されており、
インドでアルマゲストの普及が、18世紀ま
でズレ込んだ原因として、概ね4つの点が書
かれている。
1)インドでは、数学や宇宙論の議論よりも、
占い術に興味が持たれた。
2)欧州の宇宙論とインドのそれとは大きく
違いすぎた。
3)アルマゲストの理論の技術的な部分で、
現実的に翻訳がルーズであり、アラビア語も
理解できないと、科学書自体が理解できない
ような所があった。
4)と5)はほぼいっしょの主旨であり、特
に幾何学の説明での、アラビア語のインドの
言語への翻訳がルーズで、アルマゲストの議
論は、それを翻訳したとしても、翻訳本だけ
では理解できるレベルではなかった。
 ざっとだが、以上のようになるかと思う。
 以下は本ブログのこれに対する見解である。
2)については、そうかもしれないが、今回
はさておく事にする。
1)についてだが、

少し違うと思う。

アルマゲストのような天文書はインドでは、

占いよりも暦法への応用が、普段使われる頻
度が高かった

のではないか。ところでインド暦法の特徴は、

ものさしで計って、上の桁だけとったような
やり方で、日付を決める

という点だと、私は認識する。我々にとって
の”ついたち”は、インド人にとっては、
たとえば黄緯0°00'~13°20’に、
月が居るという意味である。
 我々グレゴリオ暦を使う現代人は、暦の日
付に、月の位置としての精度という意味で、
これほどまでの厳密な意味を持たせない。
 恒星月は平均の日運動が13°.187位
だから、0°.01に0時の月が居て、次の
日に13°.197に0時の月が居たときに、
インド暦では1日が2回になって、我々日本
人を驚かせているのである。
 後には、平朔で均等割りするだけになった
のだろうが。アルマゲストが輸入された当初
は、おおかたインドでは実際の月位置で、暦
を作ろうとしたのではなかろうか。本来その
ための、アルマゲストの輸入という用途が、
大きかったのではないかと私は疑っている。
 ところで、アルマゲストの月の運動モデル
は、私も億劫なので、自宅の日本語訳は読ま
ずに、webの国立天文台の暦計算室の説明
を理解するようにすると、次のようになって
いると考えられる。
 まず、月を惑星、地球を太陽に置き換えて、
太陽の周りを惑星が、公転するように、

アルマゲスト方式で記載する。

導円に周点円を、平均離心率分だけ乗せ、
エカント点を決めて、周天円中心を導円上で
エカント点に対して等角度運動させる、
ブトレマイオス流の楕円軌道の近似である。
そして近地点は、実際の月の軌道に合わせて、
少しずつ永年前進させる。これで、中心差は
だいたい補正できる。
 次に問題は出差であり、

これがアルマゲストでは、大いに変だ。

重ね合わせの三角関数の周期が、実際の31
日余りではなくて、冒頭に書いたように、
朔望月の1/2の14.765日になるから
である。というのも、国立天文台暦計算室の
説明から、明らかだと思うが、導円の中心を、
地球と一致させずに、かなり離した上で、月
の公転とは逆向きに、時計回りに朔望月周期
で、地球の周りを円の形で、回転させるとい
うものだからである。つまり、

ケプラー楕円に似た運動に、朔望月の1/2
の14.765日の周期の周期関数を重ね合
わせているのと、だいたい同じ

だ。実際には27.3日と31日余りのサイ
ンカーブを重ねると、出差の挙動に合うはず
なのにプトレマイオスは、27.3日と、
14.765日の周期関数で、それをやろう
としている。

つまり、フーリエ変換の計算を間違えている

のである。
 だから、何かよほどの工夫をすれば別だが、
単純に等速で、このカラクリを動かしたとし
たら、

実際には、かなりの誤差が出るはず

である。平均黄経運動に対する誤差曲線を
描くと、本当は、唸りの出るようなサインカー
ブのはずが、アルマゲストのやり方だと、
副極小と主極小が出たり、曲線が歪んだりし
ながら、唸りも出るというパターンだろう。
なお、無理な工夫の結果、月までの距離の
挙動が、実際とは全然違ってしまったという
説明が、国立天文台の前記ページでも、他で
も、一般に良く聞かれる。何れにしても。
インド人は、最初に真面目にアルマゲストを
読んで、月の運動をチェックし、今述べた点
が、永年のデータの蓄積結果により判った
実際とは違っていて、おかしいのに気が付い
たのでないか。特に、編暦に携わっている専
門家に、それを見破られたのだろう。
 特に暦に使おうとしていた月運動が、妙だっ
たので、アルマゲストはインド人に、
惑星運動論まで疑われ出したとしても余りお
かしくないと私は思う。実はアルマゲストで

一番出来の悪いのが、月の運動だった

のだが。
 だから楠葉隆徳氏が、冒頭で述べた、イン
ドでアルマゲストが紹介されなかったという
原因について、3)~4)・5)は、

アルマゲストを見て、西洋一般の科学書を疑
うようになり、一般的に技術的部分の翻訳が、
ルーズ化したため

だと私は疑う。
 なお、アルマゲストの月運動論について、
高校程度で、ボロクソの紹介が無いのは、
現在の科学レベルに照らした場合、月の運動
を絵に描くのが、3体問題なので難しく、今
の方が昔より上だという、空気を生徒に感じ
させるための

思想教育的効果が薄いため

たと私は思っている。ファインマン物理学の
天体力学の項に有るように、万有引力の式に、
摂動項をくっ付けておいて、数値計算し、

訳のわからない曲線を描いてみせると言うの
が、現代では、流星雨の出現予想も含めて、
こうした多体力学問題の学術領域の特徴

と、私も理解しているからである。
 以上の事から明らかに、プトレマイオスの
アルマゲストを、暦に応用するという点で、
中心的理論になるとインド人には認識された、
月の運動論に難が有った。そこで古代インド
人に言わせると、

導円の中心が地球の周りを時計回りに朔望月
周期で回転するという部分が”謎の西洋思想”

と見られた疑いがあるのではないか。このネ
ガティブな印象によって、アルマゲストは古
代インドでは、恐らく評判を落とし、たまた
まインドの普及が、遅れたのではないか。
 以上のような推定が、全く不可能とまでは
往かないように、私には疑われたのである。
(2020/03/01)

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