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茨城県の平安時代遺跡より仲人墨書土器(長さん)

今回は表題のように、茨城県石岡市鹿ノ子の
鹿の子C遺跡で、西暦1980年前後に発掘
された、墨書土器について書く。この発掘で、
跳び抜けて色々な字が書かれた土器が、出土
したらしい。
 仲人や中人と書かれた土器があり、スパイ
の意味で注人を使った平安時代には、中世の
争議調停役に関連した、仲人は居なかったの
ではないかという、本ブログの以前の論に、
疑問を投げかける事になった。では紹介する。
 情報は、これもpdfファイルの形で、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に掲載されていて、web
上で確認出来る。
写真が記載されているのは、以下のpdfファ
イルである。
16568_5_鹿の子C遺跡.pdf
 中人の方は、私には写真が未確認だが、仲
人は、このファイルにPL165と記載され
た、写真”墨書土器”の2枚目の左上にある。

鹿の子C遺跡仲人.gif

成立が何時なのかについては、次のpdfに、

平安時代

との旨の記載が有る。
16568_3_鹿の子C遺跡.pdf
 発掘が西暦1980年前後である事は、
pdfについての分冊のトップのファイルに、
発掘経過が記載されている。
16568_1_鹿の子C遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告書第20集 
常盤自動車道関係埋蔵文化財発掘調査書5 
”鹿の子C遺跡”、西暦1983年3月、
(財)茨城県教育財団
 16568_1に当る、トップのpdf分冊に、
問題の遺跡は、”古代に常陸国府、茨城郡衙
が有った場所で、現在の石岡市街地を中心と
する古代集落の領域内”との旨の説明がある。
 16568_3に、中人は古代官職(私は未確認)
名ではないかとの旨が記載されている。
本ブログの見解と異なり、平安時代に平将門
の居た場所に、スパイの注人だけでなく仲人
も居たらしい。ちなみに本ブログで2017
年8月11日頃、注人の文献で知られたもの
の出典が、平将門の乱に関する文書である事
を、注人が平安時代に、スパイの意味である
との旨の説明の際、うっかり私が書き忘れて
いたようだ。ここで遅ればせながら補足して
おく。何れにしても。

よって、平安大将棋に仲人が無い理由につい
ては、継続して理由を再調査する必要

が有りそうだと、今回の調査で判って来た。
(2020/01/04)

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