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茨城県那珂市下大賀遺跡で平安期奔馬墨書土器(長さん)

今回は、馬の字が明白で、発掘報告書にも
墨書有りとの旨が記載されていて、更に
よく見ると奉の字があり、「奉馬」とは、
朝廷等に献上した馬の意味であるという事
が、明白に判る遺物の例である。
 遺跡の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
22665_1_下大賀遺跡.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告第399集
下大賀遺跡、西暦2015年3月、茨城県
常陸大宮土木事務所・公益財団法人茨城県
教育財団。
 例言によると遺跡の場所は茨城県那珂市
瓜連1402-2番地。遺物が出土したの
は、西暦2012年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の29
ページ付近の記載から、今回話題にした遺
物土器が第5号住居跡から出土しているが、
この住居跡の成立年代が、土器の形から、
9世紀前半と見られるとの事である。
 遺物の写真は、発掘報告書の図版(PL)
7の上から3段目の左に有り、遺物番号で、
第5号住居跡(SI5)の第62番とナン
バリングされている、惣菜食器入れのよう
に私には見える土器である。

下大賀遺跡奔馬.gif

上図のように写真の中央やや上に、明快に
漢字の馬が一文字書かれており、発掘報告
書でも墨書土器とされている。そしてなお
もよく見ると、すこし下だが大体同じ高さ
で、画像の右隅に、奉と薄く書かれている
ようにも見える。また奉のすぐ左に、汚れ
模様のようなものが有るが、何なのかは、
明白でない。
 何れにしてもそこで、先の馬とあわせて、
このケースには右から読むと、奉馬となり、

大局将棋の将棋駒名の奔馬とは違うので、
江戸時代成立が通説の大局将棋が奈良時代
の始めに存在し意味しない

と見られる。また、このような奉馬の例は、
本ブログでは過去、何例か同様に古代に成
したものを紹介済みである。
 奈良時代の始めに、馬を朝廷に献上する
際に付属して使用すると見られるが、馬が
濃い字のまま明快に現代に至るまで残った
ため、奉馬で馬の存在が強調され、いかに
も献上馬が居る事が、良く判る例のように
思える。
 なお、奉の左にも、あるいは馬と書いて
あるのかもしれない。また、発掘報告書に
よると、この62号墨書土器の底部には、
「長」という字が、書かれているとの事で
ある。

馬(個体)の識別符号のようなものらしい。

又5号住居跡の第63号土器には、底部の
裏側に「馬(の?)長」と墨書が有るとの
紹介が、発掘報告書の31ページの遺物観
察表等に書かれているようである。62号
遺物と63号遺物は、同じ馬用の器物なの
かもしれない。(2022/01/27)

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