山梨県甲府市大坪遺跡で古代王将墨書土器(長さん)
今回は、7世紀末~10世紀前半成立の
山梨県の遺跡で発掘された土器に、発掘報
告書が墨書有りと認め、第(亭の意味)と
読んだのだが、字がカスレており、
草書で王将かもしれないと、注意すべき
土器遺物の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
6782_1_大坪遺跡.pdf
発掘報告書の表題は、以下の通りである。
大坪遺跡、2002年、社会福祉法人清翔会・
大坪遺跡発掘調査会。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、山梨県甲府市横根町546番地等。
遺物が出土したのは、西暦2000年前後
のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書の第18
ページ付近から、繰り返すと7世紀末から、
10世紀前半の古代のように読み取れる。
平将門の乱以前と、取れそうである。ただ
し、この遺跡からは中世の遺物も出土して
いるようである。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
17の右側の第5段目に在り、更に第6段
目に同じ遺物の内面底の拡大図とみられる
写真も在る。発掘報告書では、墨書が有り
「第」の異字(草カンムリ)であるとの釈
文が書かれている。
上図のように、草カンムリか竹カンムリ
かは問題で無く、第等の弔部分の
中央縦線が、本当に有るのかどうかが肝
である事が判る。
無いと仮定すると漢字で2文字で、尻切れ
トンボの草書で”王将”と書いてあるとも
解釈できるのではないか
と、本ブログの管理人は、個人的には疑っ
ている。ただし、杯だと思うが、それを置
く家が邸宅、つまり”~亭”と周囲から言
われている、平安時代の日本語で言う「第」
である事を杯に書いて、単に正しい置き場
所を示していたとしても、さほどおかしく
無いとは私も思う。
中世遺物も出土しているし、10世紀初
成立だとすると、山梨県が茨城県から、極
端に離れてもいないので、平将門関連も、
100%は否定出来ないだろう。だから警
戒して、「王将」0.5個分位には
カウントして置くべきかもしれないと、個
人的には疑っている。(2022/04/18)
山梨県の遺跡で発掘された土器に、発掘報
告書が墨書有りと認め、第(亭の意味)と
読んだのだが、字がカスレており、
草書で王将かもしれないと、注意すべき
土器遺物の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
6782_1_大坪遺跡.pdf
発掘報告書の表題は、以下の通りである。
大坪遺跡、2002年、社会福祉法人清翔会・
大坪遺跡発掘調査会。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、山梨県甲府市横根町546番地等。
遺物が出土したのは、西暦2000年前後
のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書の第18
ページ付近から、繰り返すと7世紀末から、
10世紀前半の古代のように読み取れる。
平将門の乱以前と、取れそうである。ただ
し、この遺跡からは中世の遺物も出土して
いるようである。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
17の右側の第5段目に在り、更に第6段
目に同じ遺物の内面底の拡大図とみられる
写真も在る。発掘報告書では、墨書が有り
「第」の異字(草カンムリ)であるとの釈
文が書かれている。
上図のように、草カンムリか竹カンムリ
かは問題で無く、第等の弔部分の
中央縦線が、本当に有るのかどうかが肝
である事が判る。
無いと仮定すると漢字で2文字で、尻切れ
トンボの草書で”王将”と書いてあるとも
解釈できるのではないか
と、本ブログの管理人は、個人的には疑っ
ている。ただし、杯だと思うが、それを置
く家が邸宅、つまり”~亭”と周囲から言
われている、平安時代の日本語で言う「第」
である事を杯に書いて、単に正しい置き場
所を示していたとしても、さほどおかしく
無いとは私も思う。
中世遺物も出土しているし、10世紀初
成立だとすると、山梨県が茨城県から、極
端に離れてもいないので、平将門関連も、
100%は否定出来ないだろう。だから警
戒して、「王将」0.5個分位には
カウントして置くべきかもしれないと、個
人的には疑っている。(2022/04/18)
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