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大阪府茨木市倍賀遺跡で弥生後期奔銀墨書土器(長さん)

今回は、大阪府で弥生時代の後期、1世紀~
3世紀に成立したと見られる、高杯型出土土器
片に、奉銀等、複数の漢字の文字のような模様
が有る事柄について紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
18926_1_平成27年度茨木市埋蔵文化財発掘調査概報8.pdf
 発掘報告書名は以下の通りである。
茨木市文化財資料集 第66集平成27年度
茨木市埋蔵文化財発掘調査概報8、西暦2016年3月、
茨木市教育委員会。
 発掘場所は4箇所であるが、遺物が出土した
のは倍賀遺跡(一部、郡・倍賀遺跡)との事で
ある。郡・倍賀遺跡は倍賀遺跡の南20~数十
メートルの場所に在るらしい。
 遺跡の場所は、発掘末尾の抄録によると、
大阪府茨木市畑田町。遺物が出土したのは西暦
2015年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第12ペー
ジ付近に、問題の遺物土器が庄内期(1世紀~
3世紀)の土師器であろうとの旨の記載が在る。
全体としては、古墳時代の土器片の出土も多い
ようではある。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版4:”
倍賀遺跡 郡・倍賀遺跡”の下カラム、”2.
HKA15-1、HKA15-2、HKA15-
8包含層出土遺物”の最下段左から2番目に在
り、遺物番号で、包含層出土遺物の第8番との
旨、ナンバリングされている。杯の持ち手の部
分の破片のように見える。

倍賀遺跡奔銀.gif

上図のように、土器の写真で中央下部に、漢字
で縦に奉銀と書かれていると言われれば、その
ようにも見える模様が有る。この場合問題なの
は、更にその前の行として、

開山等と書かれているように見える模様が有る

点である。銀山が近くで発見され、銀が出たよ
うであるが、漢字でその事が”開山奉銀”等と
表現されているという事になる。しかしながら、
そのような表現が、漢字4文字で出来るのは、
弥生時代後期だと、

大阪府では、渡来人以外に私には考えられない。

 古墳時代の遺物に混じった出土のように、
発掘報告書からは読み取れるので、執筆が日本
人で無いとは限らないのではないかと私見はす
るのだが。大阪府の難波京付近に、1世紀とそ
の少し後に、渡来人が大挙して押し寄せたのは、
そもそも、日本の

鉱山採掘が目的だったのではないかと示唆して
いるように見える、重大な遺物

の可能性も完全には否定できないように、私は
この土器を見て思う。

日本は元々、鉱山採掘場の島だったのではなか
ろうか。

つまりゴールドラッシュの島の、一癖の有る人
間の吹き溜まりの疑いが有るという意味である。
 そのようなバタ臭い場所が、魏志倭人伝にて
写実的に正しく記録されているとは、少なくと
も私には、とても考えられない。(2022/05/03)

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