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鹿児島県鹿屋市で縄文早期泰山墨書土器(長さん)

今回は、縄文早期の遺跡と言われる場所から
漢字で奉山等と書かれているように見える、
土器の破片が出土しているという話題である。

山とは書かれているように見え山という漢字
の伝来は、相当に早かった

と考えられる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
22753_1_中尾遺跡・四方高迫遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書99
中尾遺跡・四方高迫遺跡、2006年3月、
鹿児島県立埋蔵文化財センター。
 遺物はこのうち、四方高迫遺跡の集積遺構
で出土しているとの事である。
 遺跡の場所は、発掘報告書冒頭にある抄録
によると鹿児島県鹿屋市吾平町上名四方高迫。
遺物が出土したのは、西暦2000年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、第4集石遺構で話題と
する遺物土器が出土し、発掘報告書第185
ページ付近の記載から、縄文時代早期と考え
られているように読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第26:
”四方高迫遺跡(集石遺構出土土器)の最上
段左に在り、遺物番号第516番とナンバリ
ングされている、土器の破片のように、私に
は見える物品である。

四方高迫奔山.gif

 上図のように、中央の上部、左側の小穴の
ように見える部分の左少し下に、反時計回り
に傾いているが

漢字の「山」のように見える模様が有り、

その上の黒い煤けたような部分も、奉である
と言われれば、そのようにも見える。泰の
右下の割れ目の部分にも、はっきりしないが、
もう一つ「山」のような黒い模様が有る。
 泰ではなくて奉だとすれば奉山々になり、
将棋とは関連し無い。が漢字の「山」の字が、
縄文時代早期とされる遺物に有る事自体が驚
きである。
 発掘報告書の地図を見る限り四方高迫遺跡
は、南側の山の際の場所であるように私には
認識され、山岳信仰が古墳時代であれば存在
出来るような場所のように、たまたまだが認
識される。
 この遺物には縄文が少ないように、私には
見えるが。縄文土器で間違いないとしても、
山の字が偶然模様で、仮に無いとしたら

山岳信仰を伝来させた渡来人が山と書いた、
漢字の成立として早い時期の遺物

と解釈するべき物品には、間違いはないと考
えられるだろう。(2022/05/26)

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