SSブログ

埼玉県熊谷市宮下遺跡で古代奔馬墨書土器(長さん)

今回は、以前「王子」と「火像」の意味
と見られる墨書が併記された、皿型の
墨書土器が出土したとの旨の紹介をした、
埼玉県熊谷市宮下遺跡で、同じ発掘報告書
に紹介されている、そのとき私には読めな
かった、別の墨書皿型土器に、「奉馬」な
いし「名馬」と墨書されていると疑われる
物品が在るとの旨紹介する。

神仏習合の熊野神社信仰を連想させる。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っており、pdfファイル
名と発掘報告書名は、以前紹介したものと
同一であり、次の通りである。
35936_1_宮下遺跡Ⅲ.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
埼玉県熊谷市埋蔵文化財報告書第26集、
宮下遺跡Ⅲ、西暦2018年、埼玉県熊谷市
教育委員会。
 遺跡の場所は発掘報告書末尾の抄録に
よると、埼玉県熊谷市千代字宮下700番
代・字押出123~124番。同じく抄録
によると遺物が出土したのは西暦2016
年前後の事との事であった。
 遺物の成立年代は縄文時代から室町時代
の間の遺物が出る遺跡で、発掘報告書第
164ページ付近の記載によると、遺物は
竪穴住居跡第52号から出土したが、遺物
の形から住居跡の成立時代は9世紀後半の、
平安時代前半期であり、以前の「王子」等
の墨書杯と同じ時代の、平安時代成立の遺
物と考える事が出来る。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
109の第3段目左側にあり、スケッチ図
第162の第5番と書かれているが、番号
が間違っており、スケッチ図162の第3
番と同じものであると見られる。写真では、
裏面と側面に墨書があり、側面には「上司」
「頭目」の意味かと疑われる「上」と墨書
されている。以下問題にするのは、その横
面の「上」墨書ではなくて、下図のように
裏面の墨跡である。

宮下奔馬.gif

 上図のように発掘報告書にもあるように、
スケッチ図第162の第3番の杯状土師器
土器には、側面だけでなく、裏面にも墨が
ある。ヨゴレがひどいが、中央やや左の少
し上に、いっけんして「人」に見える、太
い黒い筋模様が在り、よく見ると、

「久」か「各」か「名」である。「名」で
あろう。

そして、そのほぼ真下に漢字で「馬」に見
える模様がある。本ブログでは、これまで
「奉馬」墨書土器を複数紹介し、第1字目
は、無理読みすれば大局将棋の駒名である
「奔馬」に似た「奉馬」と読めないことも
無かろう。が、このケースは「名馬」と書
いてあり、上司か頭目の俊馬が死んだので、
9世紀後半に、部下が神として祀ったよう
にも見える。
 そして、同じ遺跡の同じ発掘で杯として、
近くから出土した「火像・王子」墨書土器
と組み合わせてみると、発掘報告書で推定
されているように仏教系の施設であるにし
ても、熊野信仰に関連した、現代でも見か
ける、神社が習合して軍馬も祀られている
ような、古代の和製宗教施設が、個人的に
は連想される。
 熊谷市という地名、宮下という地名から
も、結局のところこの遺跡は、古代からあ
る熊野神社の神を、分祀して祀ったような
場所の可能性も、全く有り得ないとまでは、
言えないのでは無かろうか。(2023/01/30)

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。