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徳島県板野町黒谷川宮ノ前遺跡で10C横本墨書土器(長さん)

 徳島県では、徳島市の川西遺跡で出土した
「本横」墨書木製将棋駒の遺物が良く知られ
ている。今回は、徳島市上八万町の川西遺跡
の本横駒が出土した、西暦2009年よりも
かなり前、西暦1988年前後に同県板野郡
板野町の黒谷川宮ノ前遺跡で無理読みすれば、
「横本」に見える皿型の土器が出土している
との旨の紹介である。

横本では無く、「楷奉」の意図だと見られ、
「全奉」に近い祭祀用語が書かれている

と見られる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファィル名は、以下の通りである。
33203_1_黒谷川宮ノ前遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
黒谷川宮ノ前遺跡、西暦1993年、
徳島県教育委員会。
 発掘報告書の調査日誌によれば、遺物が
出土したのは西暦1988年前後の事のよう
である。発掘報告書に「板野町の周辺遺跡の
紹介」との旨が、発掘報告書の第1ページ
「周辺の遺跡と歴史的環境」に記載されてい
る。ので、恐らく徳島県板野郡板野町内では
あろうと見られる。詳しい場所は発掘報告書
内を見た本ブログ管理人には、発見出来てい
無い。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第40ペー
ジ付近の小結によると、遺物は第1次調査区
の第1包含層で出土したが、10世紀後半の
平安時代、本ブログで、いわゆる日本の将棋
が日本で成立した頃か、少し前であると見ら
れているように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の巻頭カラー図版
第1に載っている。発掘報告書の写真図版第
10(PL.10)の第3段目の左にも在る
が前者の方が見易い。皿型の土器とみられる。

黒谷川宮ノ前横奔.gif

 上図のように漢字で縦に2文字在り、発掘
報告書の本文第20ページ付近で、第1字目
が、木ヘンに昔、第2字目が「本」と釈文さ
れている。第2字目は奉の類の「夲」であろ
うと私見される。発掘報告書の第20ページ
の説明から、第1字目は読み不明と解釈され
ているように、読取れる。
 「横」と無理読みすると奔王の逆の「王奔」
の仲間であるが、ツクリが黄で、特に中段が
由であるとは、田である部分が日であるのは
かなり確かなため、可能性は低いと私も見る。

将棋駒名とは無関係であろう。

そこで、第1字目について思考してみると、
書道の楷書の「楷」とも無理無く読め「南無」
の同義と見られる

「楷奉」の意図で墨書されている

と私見する。「恭しく奉る」の意で、祭祀語
が書いてあるのではないだろうか。
 よって、この遺物は将棋が日本で成立した
直後に「奔王」駒が有った事を示唆しておら
ず、祭祀用語が書いて在ると私は今のところ
考えている。(2023/01/31)

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