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佐賀県佐賀市西山田二本松遺跡で古代龍馬墨書土器(長さん)

今回は、西山田二本松遺跡で龍馬と読める
墨書土器が出土しているが、同一発掘で、
「天虎」と読める、大大将棋の大虎駒の
仲間のような、比較的珍しい字の書かれた
別の遺物も出土したとの旨の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
18570_1_西山田二本松遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
西山田二本松遺跡、1996年3月、
佐賀県教育委員会。
 発掘報告書冒頭の抄録によると遺跡の場
所は、佐賀県佐賀市(佐賀郡大和町:当時)
大字川上字二本松・三本松。今回話題とす
る遺物が出土したのは、西暦1985年
前後の事のようである。
 遺物は、龍馬遺物が、西山田二本松遺跡
のA区、天虎遺物が西山田三本松B遺跡で
出土している。字名が別々で東西で接して
おり、それらの更に西に、西山田三本松A
遺跡が、別に存在するようである。
 遺物の成立年代は、龍馬墨書土器は西山
田二本松遺跡の第77号竪穴住居で出土し
たが、別の重なった住居跡との関係や、出
土品から奈良時代、8世紀成立であると、
発掘報告書第87ページ付近の記載から判
断されたようである。
 それに対して「天虎」土器は、西山田三
本松B遺跡の第Ⅱ区で出土したが、墨書土
器であると発掘報告書に書かれ、「何がし
広(旧字)」ではないかと、発掘報告書第
278ページ付近に記載され、発掘報告書
第269ページ付近の記載によると、同じ
く奈良時代、8世紀成立と、見られている
ように読み取れる。
 遺物の写真は「龍馬」墨書土器が、発掘
報告書の写真図版(PL.)第31の上段
カラム:”第77号竪穴住居(跡:
SB077)出土土師器”の集合写真上段
右に在る。写真図版にナンバリングはない
が、発掘報告書のスケッチ図第63に遺物
番号365番とナンバリングされている
遺物と見られる。土師器の小型の甕と、
発掘報告書では見たようである。

西山田二本松龍馬.gif

 上図のように、右側に汚れがあり、余り
明確ではないが、写真のほぼ中央若干下に
ズレて、かつ反時計回りに少し回転して、
縦に漢字で2文字「龍馬」とも読めるよう
な、黒い模様が読めるように私には思われ
る。
 それに対して、「天(いっけん)虎」墨
書土器が、同じく発掘報告書の写真図版(
PL.)第45:”西山田三本松B遺跡
Ⅰ区出土土師器・須恵器(1)”の最上段
右上に、裏面の拡大写真と見られる写真の
コマで存在して、遺物番号第235番との
旨、ナンバリングされている。杯の裏側の
ようである。

西山田三本松天虎.gif

 上図のように、こちらは明確に墨書土器
で、私には天虎といっけん読め、大大将棋
の大虎を連想した。第2字目が広の旧字で
あるとの発報告書の意見には、第1字目が、
「天」なのは、かなり確実なため、意味不
明ではないかと懸念する。
 そこでよく見ると、

「天写(写は旧字「寫」)」のようである

と思う。
 祭祀用で天空を崇拝する道教系の大陸か
らの渡来信者が、佐賀県に古くから居住し、
奈良時代にも存在し祭祀を行っていたので
はないかと、私的に疑う。(2023/03/15)
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