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山梨県中央市小井川遺跡で室町期妙将墨書カワラケ再(長さん)

今回は、以前紹介した明治期の獅子吼女
塔婆が出土した小井川遺跡で、その発掘
調査引き続いて行われた発掘で室町時代
の地層から、結論から言うと「妙尉」と
読めるカワラケが出土したとの旨の紹介
である。
 なお「この遺物は以前に「姉将」かも
しれないが、判らない」と本ブログで既
に内容を論じた遺物である。つまり

今回は釈文の再挑戦である。

 結局この小井川遺跡からは、室町時代
と明治時代の将棋駒名が疑われる墨書が、
計2個、出土はしていたという事になる。
 奈良文化財研究所発掘報告書デ-タベー
スの全国遺跡報告総覧に登録公開された、
本遺物のpdfファイル名、発掘報告書
名、遺跡の場所、出土した年、成立時期、
写真の位置は、再録すると以下のように
順になる。
 pdfファイル名は以下の通りである。
7149_1_小井川遺跡Ⅲ.pdf
なお以前には小井川遺跡Ⅱに書かれた
明治時代遺物を本ブログで別途紹介した。
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
小井川遺跡Ⅲ、2008年3月、
山梨県教育委員会・山梨県土木部。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所
は、山梨県中央市布施地。遺物が出土し
たのは、西暦2005年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第27
ページ付近の記載により、墨書カワラケ
の類の成立年代は、15世紀前半の室町
時代頃とみられているように私には読み
取れるとの事だった。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第
23の下から2段目左にあり、遺物番号
第723番との旨、ナンバリングされて
いる。杯土器ではなくて発掘報告書には
中世カワラケと記載されていた。その側
面とみられる部分に、明らかな墨書の有
る遺物である。拡大すると以下のように
なっている。

小井川妙将拡.gif

 上図のように、きわめてはっきりと
墨書きがあるが、第2字目の上部が不明
快である。第1字目は他にも同系統の墨
書遺物が出土していて、今回良く見ると、
「姉」では無く「妙」だと初めて読めた。
発掘報告書の釈文は今のところ、私には
以前と相変わらず、発見されてい無い。
 つまり「妙将」のように、私は読み直
した。これでは意味はなおも不明である。
使用者の名である旨が、複数出土した墨
書に関し、発掘報告書にその旨の指摘が
有る事に、今回気がついた。
 そこで今回はマイクロソフトのime
パッドで、入念に解析した。その結果、
上図の第2字目は、

「尉」が最も近いとようやく納得できた。

 発掘報告書の解釈通り「妙尉」という
僧侶の使用者名のようであった。第2字
目の上部が将の上の方のツブレだと見る
のは、詳細に見ると、このケースの場合
にはかなり無理だったと結論出来る。
(2023/05/13)

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