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宮崎県宮崎市倉岡第2遺跡で6C王奔墨書土器(長さん)

 今回は、古墳時代後期から古代にかけ
ての遺跡であるとされている表題遺跡の
発掘で、6世紀前後に成立したとされる
甕型土器の側面に、漢字で「王奉」と書
かれているように見える出土土器がある
との旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
3627_1_倉岡第2遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
宮崎県埋蔵文化財センター発掘調査報告書第48集
倉岡第2遺跡、2001年、宮崎県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所
は宮崎県宮崎市大字金崎字手尻。遺物が
出土したのは、西暦1997年前後の事
のようである。
 遺物の成立年代は、この発掘で検出さ
れた住居跡が報告書第79ページの記載
により、6世紀~7世紀初とされている
ように読み取れ、発掘報告書第30ペー
ジ付近の記載により、話題とする遺物は
甕型土器で、この住居跡に関連し、古墳
時代で、6世紀前後のものとされている
ように、私には読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第6:
”A区出土遺物(2)”中段右の遺物
集合写真の左下に在り、遺物番号第73
番との旨、ナンバリングされている。

倉岡第273王奔.gif

 上図のように、かなり大きく、写真で
中段やや下にやや不明確に漢字で「奉」
のように見える暗い模様が在り、更に、
以下もやや不明確だが、その左上に漢字
で、「王」のようにも見える模様がある。
 宮崎県宮崎市の土地の有力者を6世紀
に住民が「王」と崇め、何らかの献上品
を甕型土器に納めて、貢いでいたという
事が疑われると私は考える。(2023/05/29)

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