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埼玉県志木市城山遺跡で7C奔神戦王墨書土器(長さん)

今回は埼玉県志木市城山遺跡で古墳時代
末期、7世紀成立と見られる、骨壷用に
見える長い甕型土器に、有力者を奉じる
という意味の「奉神戦王(?)」と漢字
で書かれたような模様が有るとの旨の、
紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
130151_1_城山遺跡第96地点埋蔵文化財発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
志木市の文化財第78集、城山遺跡第96地点
埋蔵文化財発掘調査報告書、2021年、
埼玉県志木市教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所
は、埼玉県志木市柏町3丁目1139番
3・4。遺物が出土したのは、西暦
2019年前後の事のようである。
 ここで話題とする遺物は、第304号
住居跡で出土したが、発掘報告書第
135ページ付近の記載により遺物の形
等からとみられるが、古墳時代末の7
世紀頃成立と見られているように、私に
は読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
67:”第304号住居跡出土遺物(2)”
の最上段左に在り、第304号住居跡出
土遺物の第15番との旨、ナンバリング
されている、長い甕型土器で、骨壷とし
ても使用されると、私には認識される形
のかなり大きな土器である。

城山奔神戦王.gif

 上図のように、写真の中央に縦に漢字
で3文字「神朝王」か「神戦王」のよう
に、第2字目がはっきりしないが書いて
有るようにも見え、第2字目と第3字目
の間の右に「奉」のように見える模様が
ある。朝鮮半島から渡来した王が「神朝」
か「神戦」かの名前であるような印象を
受け、有力者の骨壷を入れる容器が連想
される。古墳時代末から古代にかけ埼玉
県志木市には、渡来系の豪族が居してい
た事を示している疑いが、有るように私
見される。(2023/06/20)

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