富山県舟橋村浦田遺跡から王将?土器(長さん)
以下、成立年代も全く判らない、雲をつかむ
ような墨書遺物の紹介である。焦げ跡がたま
たま、将棋の駒名のように見えるだけなのか
もしれない。
発掘場所は、富山県中新川郡立山町の近く
の舟橋村の浦田遺跡で、発掘年は1997年
頃のようである。 web上で、この件につ
いても、情報が公開されている。
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
の、”全国遺跡報告総覧”に収録されている
からである。pdfファイル名は、以下の通
りである。
6132_1_富山県舟橋村浦田遺跡発掘調査報告書.pdf
そこの、図版40の右下の方に47番とある、
大きめの土器の破片とみられる出土物の、内
側に上から上下逆に、以下の図のように、”
王将”とも読める、墨跡のようにも見えると
いうものである。
本文中をざっと目を通すと図版40の遺物は、
成立年代が不明
の意と取れる記載が有る。遺跡自体は先土器
時代から近世とあり、この遺物については、
弥生時代以降であろうが、成立年代について、
遺物の特徴についても私には全く判らず、
その点でも雲をつかむような話
である。
そもそも、食料を調理した時に、焦げ目が
付いて、王将の形になったのかもしれず、
将棋の駒名を書く場所、また大きさが大きい
事から見ても、将棋を知っていて書いたのか、
それ以前に、これが、そもそも人の手による
字なのかどうか、かなりの疑いが持たれる
所である。ちなみに、発掘報告書には、この”
黒い模様”について、特に言及は無いように、
今の所、私は読み取っている。
やはり器の底に書かないで、側面に天地逆
に書いてある、書いた場所の不自然さ、食器
として使ったとした場合の不潔さから見て、
これは将棋遺物では、たぶん無い
のではないかと、今の所しておくしか他に、
表現のしようも無い物のように私には見える。
(2020/12/25)
ような墨書遺物の紹介である。焦げ跡がたま
たま、将棋の駒名のように見えるだけなのか
もしれない。
発掘場所は、富山県中新川郡立山町の近く
の舟橋村の浦田遺跡で、発掘年は1997年
頃のようである。 web上で、この件につ
いても、情報が公開されている。
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
の、”全国遺跡報告総覧”に収録されている
からである。pdfファイル名は、以下の通
りである。
6132_1_富山県舟橋村浦田遺跡発掘調査報告書.pdf
そこの、図版40の右下の方に47番とある、
大きめの土器の破片とみられる出土物の、内
側に上から上下逆に、以下の図のように、”
王将”とも読める、墨跡のようにも見えると
いうものである。
本文中をざっと目を通すと図版40の遺物は、
成立年代が不明
の意と取れる記載が有る。遺跡自体は先土器
時代から近世とあり、この遺物については、
弥生時代以降であろうが、成立年代について、
遺物の特徴についても私には全く判らず、
その点でも雲をつかむような話
である。
そもそも、食料を調理した時に、焦げ目が
付いて、王将の形になったのかもしれず、
将棋の駒名を書く場所、また大きさが大きい
事から見ても、将棋を知っていて書いたのか、
それ以前に、これが、そもそも人の手による
字なのかどうか、かなりの疑いが持たれる
所である。ちなみに、発掘報告書には、この”
黒い模様”について、特に言及は無いように、
今の所、私は読み取っている。
やはり器の底に書かないで、側面に天地逆
に書いてある、書いた場所の不自然さ、食器
として使ったとした場合の不潔さから見て、
これは将棋遺物では、たぶん無い
のではないかと、今の所しておくしか他に、
表現のしようも無い物のように私には見える。
(2020/12/25)
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