SSブログ

仙台市北目城跡から近世初成立”^王”墨書の棒(長さん)

以下、細い棒でも、将棋絵が有るかもしれ
ないので注意すべきであるとの例である。

次に述べる遺物は近世成立なので日本将棋
が、もとであろうと推定される。

 発掘場所は宮城県仙台市の北目城跡で、
発掘されたのは1992年の頃の事のよう
である。報告書は以下の表題であり、今回
問題する遺物の写真が、そこに載っている。
仙台市文化財調査報告書第197集
北目城跡発掘報告書、仙台市教育委員会、
1995年。
 web上にpdfにて遺物の写真は公開
されており、pdfファイルが、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に掲載されている。
ファイル名は、下の通りである。
9671_1_北目城跡.pdf
写真が載っているのは、以下の箇所である。
図版36出土遺物(17)。
最下段の中央にある、細長い棒がそれで、
遺物番号が、第340番である。普通の写
真では良く判らないので、右側に拡大図で、
将棋駒がもとのようにも見える書き字が示
されている。ただし報告書では、”『三』
と書かれている”との旨が記載されている。

北目城王.gif

 なお遅れたが、北目城は戦国時代に成立
し、江戸時代初に後の仙台城が出来るまで、
主城として使用されたとの事である。だか
ら遺物は、江戸時代早期のものとされてい
るようである。
 上図のように、縦線が木目に隠れるので、
発掘報告書に記載されているように、王で
はなく三かもしれない。が、その上部に
”^”が有るように、私には見える。

 三だとすれば上部の^が邪魔

なのではないか。
 王の縦棒があるべき部分は、切り込みが
入っているようにも見ようによっては見え
るので、

王と書いたものであり、日本将棋の王将が、
もとだったとしても、さほど変ではない例

であると私見する。というよりも、

こんな細い棒に墨書で、一文字書かれてい
たのを、発掘者は良く見落とさなかったも
のだ

と感心させられた。この遺物がどうと言う
よりは、”木製品が

細いから墨は、付いているはずが無い”と
決め付けないようにしようと肝に命じた。

ただし、細い棒に、将棋の字を書いた理由
は、この場合に関しては、私には全く判ら
ない。他に棒の墓標が出土しているとの事
なので、誰の墓なのかを、墓地の立て札と
して示している可能性は、全く無いとは言
い切れないのかもしれない。(2021/04/02)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。