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仙台城周辺遺跡跡から金将駒瓦等(長さん)

以下もいつものように、奈良県の
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録された情報である。
以前奈良県の山田寺跡、福岡県柳川市本町の
本町遺跡で紹介等した、瓦に将棋駒の絵を描
いた遺物が、将棋駒の出土で有名な仙台城跡
の、北側の周辺武家地でも出土したとの事で
ある。
 当然成立は江戸時代の事であり、はっきり
とした意図や、作図方法も実は、私には良く
判らないのだが。出てきた事に不自然さは余
り無い遺品とみられる。
 web上、データベースとして登録された
pdfファイル名は、以下の通りである。
70989_1_仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第14地点.pdf
 コンテンツは発掘報告書であり、報告書の
表題は、以下の通りである。
東北大学埋蔵文化財調査室調査報告8
仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区
第14地点第2分冊
東北大学埋蔵文化財調査室、2020。
 そこの、図版37 1号井戸(Ⅰ~Ⅲ期)
出土遺物(3)の、下から2段目左側に、
遺物番号T18とナンバリングされた瓦と
みられる遺物の写真があり、その上下写真で
下の方の面に、金の字が少し右にズレている
ものの、駒全体に対して字が、ほぼ成立した
”金将駒”と見られるものが、描かれている。
 何らかの方法で、実在の金将像を投影した
のであろう。
 
仙台城瓦金将.gif

 なお、同じ遺跡からは、駒名として、多分
”寿”だと思えるが、一文字が書かれた、五
角形画が、こちらは木の板に有る遺物も出土
している。
 今のべた金将の有る次のページの、図版
38 1号井戸(Ⅰ~Ⅲ期)出土遺物(4)
の、同じく下から2段目の左から2番目、
W33とナンバリングされた遺物である。

仙台城板寿.gif

将の字の寸の部分が力に見える点で似ている
ので、ひょっとしたら、同一人物の仕業かも
しれないと思う。同様なパターンは以前、”
石名田木舟遺跡の将棋駒型『吉』絵入り曲物
底板”の例で紹介した。この寿駒の方の作成
意図は、石名田木舟の場合と類似で江戸時代
の仙台城下在住の、将棋マニアのお祝い用な
のであろう。なお、江戸時代の彩色の綺麗な
遺物物品の中にあって、もはや見た目の墨が
薄すぎる為、こうしたケースには発掘報告書
に”墨書”との指摘が特に書かれ無いようだ
と、私は以前より認識している。
 将棋駒が出土するほど将棋が盛んな遺跡で、
この手の遺物が出土するというパターンが、
普通であるという事がほぼ事実だと、これで
完全に、私には思えるようになって来た。
(2021/04/21)

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