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平城宮第40次調査で”山母王”墨書土器(長さん)

本ブログでは前に述べたように、山姥の初出は
今昔物語であり、それが鎌倉時代中期に遡れる
かどうか疑問な為、鎌倉時代の摩訶大大将棋・
摩訶大将棋の成立を疑う立場を取ってきた。
だが最近、イスラムシャトランジの絵と疑われ
る墨書で紹介した、奈良国立文化財研究所の、
”平城宮出土墨書土器集成Ⅰ”に、山母王と釈
文された、墨書の書かれた土器があるのに、本
ブログの管理人は気がついた。釈文は、本文の
42ページ第40次調査、SD4850出土、
土器番号第901番の、外面に有る。該遺物は

欠けていて第1字目の”山”が一部しか無い。

 繰り返すと文献はpdfファイルで、現
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されており、web上
で見る事が出来る。pdfファイル名は、以前
にも紹介したが以下の通り。
63054_1_平城宮出土墨書土器集成1.pdf
 写真が、PL.52の3段目右にあり問題の
”墨書の有る外面”は、ツマミの付いたフタの
外側のようにも、私には見える。

平城宮山母.gif

上縁にも水平に墨が一部分残って有るようにも
見え、第1字目が本当に”山”かどうか、解釈
が確定出来ないのではないか

と個人的に疑う。従って山姥の意味で、書いて
いないと、本ブログでは疑う事にする。
 言うまでも無く、山姥が、平城京の盛期の
奈良時代に成立すると、本ブログの論は、

いっぺんで瓦解

する。従って、この遺物は重要であると見る。
 表には日付と当事者名等が書いてあるように
私には解釈され、

伝言等の相手先が、一例”田母王”であって実
氏名が書いてあるのを”山母王”と読んでいる

疑いが、このケースには依然残るように思える。
 肝心な部分が欠けてしまった、残念な遺物だっ
たように思う。(2021/04/28)

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