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山梨県都留市堀之内原遺跡で平安期大主墨書土器(長さん)

今回は奔王、奉王、大国主命といった単語が、
大王に縦線を繋げたり、破線にしたり、横線
数を変えたりして出来たという証拠に関する
話題である。今回話題とする、平安期の墨書
土器は、

仏教の大黒天の関連神でもある、大国主命は、
大主に国の字を入れたものである事を示唆し
ている証拠の遺物

と見られる。
 遺物の写真がweb上に在り、発掘報告書
に載っている。発掘報告書が奈良県の、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
7304_1_中央自動車道富士吉田線四車線工事に
伴う堀之内原遺跡発掘調査報.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
(山梨県)都留市埋蔵文化財報告第7集
堀之内原遺跡発掘調査報告書、1980.3、
都留市教育委員会・日本道路公団東京第二建設局。
遺跡の場所は、発掘報告書に記載が発見でき
無いが、山梨県都留市田野倉内のようである。
発掘作業は1978年前後に行われたようで
ある。
 成立年代については、冒頭に山梨県東部の
遺跡が平安時代の9世紀を中心とするもので
あるとの旨の記載がある。
 さて、今回紹介する墨書土器は、墨書有り
とされていて、発掘報告書の図版15:”
第1号・第2号住居址出土遺物(本品は2号)”
の左下に在る。一見すると内面底と底部に、
同じ”夲”の字が、2箇所に書いて有るだけ
に見えるのだが、図の上部の底と見られる方
の本は、十ではなくて・+Tのようであり、
下部の内面底と見られる方は、+の他に、
薄く2本の横線が、余分に入っているように
私には見える。

堀之内原大主.gif

上図のように、内外を組み合わせると、大主
か、太王と書いて有るようにも見えてくる。

奔王とは異なるため、成立が9世紀であって
も、将棋史には影響は無い。

が、①漢字の王と主には似たニュアンスが有
る事と、②太が大の代用としてしばしば使わ
れる理由を示唆

しているように見える。作成した当初は、夲
にしか見えない今の状態と違い、玉虫色の字
に見えるように、書かれていたのかもしれな
いという意味である。
 時代は平安時代と、やや古事記よりも下る
ものの、ようするにこれは、

大国主命とは、弥生時代に概念が日本に伝来
した”国王”と、ほぼいっしょである事を、
証明しているような遺物

だと私は思う。
 以上の事から、奔王が発生した当時、王将
の歩み動きが可能な、8方向全ての方向に、
走るという駒の動かし方ルールから来るとい
うよりは、その時点で他界していた、先祖の
神様の大王のイメージで、平安時代末~
鎌倉時代草創期の将棋棋士がこの駒を見てい
た事は、ほぼ間違い無さそうだと結論される。
(2021/07/25)

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