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千葉県光町神山谷遺跡で9世紀初大戯墨書土器(長さん)

以前、本稿が記載される2カ月ほど前、
千葉県光町神山谷遺跡に奈良期の酔仔墨書
土器の出土遺物が在るとの紹介をした。いっ
けん酔象に見えたが。酔仔であり象が、こ
の遺跡では知られて居なかっただろうとい
う事だった。今回は象が知られていない同
遺跡の発掘で、成立年がその7~80年程
遅い、大象戯ならぬ”大戯”墨書土器が発
掘されていたとの旨を紹介する。

大獻、新字体で大献と書かれており、神道
で神へ供え物をする儀式に関連した、祭事
用土器と見られる。

 写真が紹介されている発掘報告書は、
pdfでweb上に公開されていて、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている、以前
紹介した発掘報告書の、別のページである。
そのpdfファイル名は以下の通りである。
72303_2_神山谷遺跡1.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
財団法人東総文化財センタ一発掘調査報告書第25集
千葉県匝瑳郡光町神山谷遺跡(1)、2002年、
千葉県企業庁・財団法人東総文化財センター。
 出土地点が、今度はSI-135であり、
前にも紹介したが、第1番pdf、
72303_1_神山谷遺跡1.pdf
の、259ページ、第12表:”C区
竪穴住居跡一覧表”のSI-135の部分
に、出土地点の建物跡の成立年代が記載さ
れている。それによると、前よりも遅く、
9世紀の第1四半期との旨書かれている。
今度は平安時代に掛かる。また繰り返すが、
遺物が出土したのは、1995年前後の事
のようである。遺物の写真が、第2”図版
pdfファイル”の今度は図版152:
”C1・C2区”の下から3段目の左に
掲載され、遺物番号第SI-135,1番
とナンバリングされている。

神山谷大戯.gif

上図のように、大戯と読んでしまいそうで
ある。

象が無いので、平安時代前期に、大将棋が
成立しているはずは無いが、何んだろうか
と疑問にはなる

ような単語である。なお発掘報告書に墨書
の指摘が有り、第2pdf内の、388ペー
ジ付近で「大家」と読んでいることが判る。
 だが、上図の如く第2字目には、

”ろ”を崩したようなツクリがはっきりと
見え、”家”だとは考えられない。

大家という墨書土器が、全国的には多いの
で、発掘報告者がたまたまそう読んでしまっ
た疑いが濃いと私は思う。なお、

”ろ”を崩したような部分は楷書で書くと
”犬”であると、本ブログでは考える。

よって第2字目は、家でも戯でも無く、

”獻”と書いてあり、新字体だと献であり、
大獻(だいけん)と読める

と、ここでは考える。
 なおweb上に”鳥取大山の大献灯”と
いう単語があり、神仏に供える物ないし、
それを入れる入れ物のような意味であると、
明らかに取れる。従っておそらくこの土器
は平安時代の初期に、神に献上する供え物
を入れる用途で用いた土器なのであろう。
余りに字の残りが良かったため、一瞬驚か
されたが。
 よって残念ながらこの遺物は、大将棋と
は全く関係なく、将棋、そのものともほぼ
繋がらない物品で、あったようである。
(2021/07/26)

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