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宮城県仙台市下ノ内浦遺跡で平安期百八大将墨書(長さん)

以下、恐らく発掘報告書の通り、一字で東
と書かれている墨書土器なのだが、東の字
がクセ字で、百八に見える墨書土器の紹介
である。ヨゴレかもしれないが、大とか将
に見えるぼんやりとした黒い模様も有る。
成立年代は、西暦1300年の普通唱導集
大将棋とは全く合っておらず、西暦800
年頃の平安時代初期だとされる。土器だが、
木製遺物が良く発掘される、当時の小川の
底から見つかったとの事である。
 遺物が写真で公開されており、発掘報告
書に載っている。発掘報告書が奈良県の、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
3676_1_下ノ内浦遺跡.pdf
発掘報告書名は以下の通りである。
仙台市文化財調査報告書第115集
下ノ内浦遺跡、1988年3月、
仙台市教育委員会・みやぎ生活協同組合。
発掘作業は西暦1987年前後に行われた
ようである。遺跡の場所は、宮城県仙台市
長町南4丁目32との事である。
 川底の地層で”C層下D層”と名づけた
所から出土しており、遺物から地層:C層
下D層は、奈良時代から平安時代にかけて
のものと見なしたとの旨発掘報告書に在る。
 問題の遺物の写真は、発掘報告書の
109ページ、写真33:”1号河川跡
出土遺物(2)”の上から3段目の右に在
り、遺物番号は1号河川跡出土遺物(2)
の第7番とナンバリングされている。
発掘報告書の15ページ付近に、杯の底だ
けのものであり、”東”と墨書されている
との旨が説明されている。(図版写真33
では番号が6になっているが誤りだろう。)

下ノ内浦百八大将.gif

上の写真から、削って付けたような縦棒が
無ければ、東ではなくて、百八に見え、そ
の下に馬、使、左側に”大+将+術”等の、
ぼんやりとした模様があるようにも見える。
 よって、『百八馬使大将術』となり、
普通唱導集大将棋が、駒数108枚である
事を示唆しているようにも見えて来る。

が、成立年代が合わないのが、致命的

であろう。八の見える部分の

左側が、縦棒と同じく線刻であるように見
える点も、更に致命的

かもしれない。地鎮で平安時代初期に、
所有地の東側に埋めた土器が川に流れ出た
ものとする旨の、前記発掘報告書の解釈が、
一番妥当というところであろう。(2021/07/27)

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