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兵庫県朝来市梶原遺跡で中世迄の角行墨書土器(長さん)

今回は兵庫県の比較的小規模な遺跡で、
成立時代のはっきりしない包含層から出土
した角行字の墨書が疑われる瓶状の出土
土器を紹介する。親鸞聖人の

阿弥陀教や大将棋・中将棋は鎌倉時代~
室町時代には、全国的によほど著名だった

のではないかと疑える遺物である。
 遺物の写真がweb上に有り、発掘
報告書に載っている。その発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
19196_1_梶原遺跡・梅ヶ作遺跡・北山遺跡・大月北山古墳群.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
兵庫県文化財調査報告 第342冊
朝来市梶原遺跡・梅ヶ作遺跡・北山遺跡・
大月北山古墳群、2008年3月、
兵庫県教育委員会。
このうち紹介する土器が出土したのは、
梶原遺跡であり、それは兵庫県朝来市
山東町楽音寺字梶原に所在するとの事で
ある。調査は2000年前後に行われたよ
うだ。
 遺物は弥生時代の土器から中世の遺物ま
で、ごちゃごちゃに出土する包含層から出
た。その為、成立年代は、報告書にははっ
きりとは書かれていないようである。
 遺物の写真が写真図版15:”梶原遺跡
出土遺物5”の最上段に在り、遺物番号
第93番とナンバリングされている。横瓶
土器との旨、発掘報告書の本文で紹介され、
墨書の指摘は特に無い。

梶原遺跡角行.gif

上図のように、はっきりしないが、中央や
や右よりに、縦に角行と書いて有るように
も見える。

成立年代がはっきりしないので、好意的に
中世と見れば、大将棋や中将棋の角行から
来ているとしても、特に矛盾は無い。

 発掘報告書の「小結」に、小規模遺跡で
あるとの旨が紹介され、大将棋や親鸞の、
阿弥陀教から来ているとすれば、少なくと
もどちらかが、日本の寒村の隅々にまで普
及していた事を、証明する遺物になりそう
である。
 なお、今回紹介した遺物の写真の直ぐ前
の写真図版14の下の方に遺物番号第90
番とナンバリングされた、おなじ地点から
出土した、同じような形の土器の写真が有
り、その土器にも第2字目は私にはさっぱ
り読めないが、角口と書いて有るようであ
る。すなわちここでは、”角行”が、相当
に普及した言葉だった可能性が有る。
 たまたまだったが、成立年代のはっきり
しない遺物群になってしまったのが、残念
なケースだったようである。(2021/07/29)

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