長野県佐久市大豆田遺跡で鎌倉南北朝酔象砥石(長さん)
以下に、表題の遺跡で普通唱導集成立の時代
の酔象に見える模様の有る、出土砥石遺物を
紹介する。
字がぼやけすぎであり、はっきりしたもので
は無い。
遺物の写真がweb上に公開されおり、発掘
報告書に載っている、発掘報告書が奈良県の、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
69997_1_周防畑遺跡群大豆田遺跡Ⅴ鳴澤遺跡群古仁田遺跡Ⅱ.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りで有る。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第255集
周防畑遺跡群大豆田遺跡Ⅴ・鳴澤遺跡群
古仁田遺跡Ⅰ、2018.10、佐久市教育
委員会。
遺物は周防畑遺跡群大豆田遺跡で発掘され
ている。記載されている2つの遺跡は、互い
に近接していない。大豆田遺跡の場所は、
長野県佐久市長土呂1723に所在するとい
うことである。
発掘作業は、2017年頃に行われたよう
である。
遺物は土構12(D12)から出土して
おり、中世13~14世紀の井戸跡ではない
かとの旨、発掘のまとめが記載された、
『第Ⅴ章調査の成果』ないし『第Ⅴ章調査の
まとめ』(目次では、後者になっている)の
24ページ付近に記載されている。11世紀
の宋銭が共出土しているらしい。
遺物の写真が、発掘報告書の40ページの
図版12の中段左に、遺物場号第D12-9
番とナンバリングされて在り、左側の面の全
面に、酔象の2文字のような模様が有る。
発掘報告書には、墨書の指摘は見当たらない。
上図のように字はぼやけているしそもそも
砥石に間違い無いとすれば、そのような物品
に敢えて字を書くというのも不自然
である。いかにも出土品の酔象の文字っぽい
が、偶然模様の疑いが濃い。
しかしながら、成立年代が、ほぼ酔象が復
活したと見られるものの、未発見時期と重なっ
ている。よって、このような墨書遺物を、今
後も捜索する事が重要である事だけは、確か
に言えるだろうと思われる。(2021/07/30)
の酔象に見える模様の有る、出土砥石遺物を
紹介する。
字がぼやけすぎであり、はっきりしたもので
は無い。
遺物の写真がweb上に公開されおり、発掘
報告書に載っている、発掘報告書が奈良県の、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
69997_1_周防畑遺跡群大豆田遺跡Ⅴ鳴澤遺跡群古仁田遺跡Ⅱ.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りで有る。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第255集
周防畑遺跡群大豆田遺跡Ⅴ・鳴澤遺跡群
古仁田遺跡Ⅰ、2018.10、佐久市教育
委員会。
遺物は周防畑遺跡群大豆田遺跡で発掘され
ている。記載されている2つの遺跡は、互い
に近接していない。大豆田遺跡の場所は、
長野県佐久市長土呂1723に所在するとい
うことである。
発掘作業は、2017年頃に行われたよう
である。
遺物は土構12(D12)から出土して
おり、中世13~14世紀の井戸跡ではない
かとの旨、発掘のまとめが記載された、
『第Ⅴ章調査の成果』ないし『第Ⅴ章調査の
まとめ』(目次では、後者になっている)の
24ページ付近に記載されている。11世紀
の宋銭が共出土しているらしい。
遺物の写真が、発掘報告書の40ページの
図版12の中段左に、遺物場号第D12-9
番とナンバリングされて在り、左側の面の全
面に、酔象の2文字のような模様が有る。
発掘報告書には、墨書の指摘は見当たらない。
上図のように字はぼやけているしそもそも
砥石に間違い無いとすれば、そのような物品
に敢えて字を書くというのも不自然
である。いかにも出土品の酔象の文字っぽい
が、偶然模様の疑いが濃い。
しかしながら、成立年代が、ほぼ酔象が復
活したと見られるものの、未発見時期と重なっ
ている。よって、このような墨書遺物を、今
後も捜索する事が重要である事だけは、確か
に言えるだろうと思われる。(2021/07/30)
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