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茨城県稲敷市神谷遺跡で平安期奔石墨書土器(長さん)

今回は、平安時代成立とみられる、奔石の漢字
に似た、奉石墨書土器の紹介であり、石を拝む
祭祀が有るのが当然かもしれないが、墨書土器
としては、これまで紹介していない例である。
 遺物の写真はweb上に公開されていて、発
掘報告書に載っている。発掘報告書が奈良県の、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
51930_3_清水古墳群神屋遺跡神屋南遺跡.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告第405集
清水古墳群・神屋遺跡・神屋南遺跡、2016、
国土交通省関東地方整備局常総国道事務所・
公益財団法人茨城県教育財団。
 遺跡の場所は、前期pdf末備の抄録による
と、茨城県稲敷市大字清水字神屋800番の、
神屋遺跡で、話題にする遺物が発掘されている。
発掘作業は同じく抄録によると、西暦2012
年前後との事である。
 遺物の成立年代は遺物が2個有り、一個は、
竪穴住居跡第83号から出土し、共出土遺物か
ら9世紀前半との旨が第2神屋遺跡遺物pdf:
51930_2_清水古墳群神屋遺跡神屋南遺跡.pdf
の、396ページ付近に記載されている。
 もう一つは、遺物番号の大きい方で、第1号
大型円形土坑で発掘され、10世紀前半成立
との旨が、やはり第2pdfの468ページ付
近に記載されている。
 遺物の写真は、遺物番号の小さい方が、第3
pdfの図版(PL.69)の右下に在り、
遺物番号第491番とナンバリングされている。

清水古墳群奔石1.gif

遺物番号の大きい方は、図版(PL.74)の
やはり右下に写真が在り、遺物番号第599番
とナンバリングされている。なお、後者には、
人面墨書が、写真には無いが内面に在るとの旨
の紹介が、第2pdfの470ページ付近に、
在る。

清水古墳群奔石2.gif

両方の写真とも、中央やや右に、第2字が潰れ
ているが、

奉石と読める模様が明らかに有り、発掘報告書
の記載通り、祭祀用で、石を拝む神道系の儀式
に関連する平安時代の遺物

と推定される。なお、このときの発掘で、土器
に単に石と書いてある墨書も出土しているよう
である。石にシメナワを張ったようなご神体が、
この界隈に9~10世紀に存在したのであろう。
 奔石が摩訶大将棋・摩訶大大将棋に在り、平
安時代の9世紀前半に、日本の将棋が伝来して
いないとの通説により墨書が在るとすれば矛盾
する。が第1字目が奉のように私には見える為、
この例については、将棋とは無関係ではないか
と、今の所考えている。又奔石という成駒名が、
抵抗なく受け入れられたのは、中世にも奉石と
いう字が、見慣れていて似ていたからではない
かというのが、本ブログの推定である。(2021/10/23)

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