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岩手県奥州市接待館遺跡で12C奔馬墨書カワラケ(長さん)

今回は藤原秀衡の母の居館と伝承されている、
岩手県奥州市の接待館遺跡で、漢字で奔馬と、
底面に書かれている、12世紀後半に成立の
カワラケが出土している旨を紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
12690_1_六日市場・細田・接待館遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書名は、以下の通りである。
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第523集
六日市場・細田・接待館遺跡発掘調査報告書、2008年、
国土交通省東北地方整備局岩手河川国道事務所・
側岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場所
は岩手県奥州市衣川区大字下衣川宇七日市場。
同じく例言によると、遺物が出土したのは、
西暦2005年前後のようである。
 遺物の成立年代は、奥州藤原氏の藤原秀衡
の母の居館と伝承される、接待館での出土と
され、12世紀(仮に)後半の遺物と見られ
ていると解釈できる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版104:
”12世紀のかわらけ③”の第3段目左に在
り、遺物番号は第1091番とナンバリング
されていて、裏面の写真も載っている。

接待館奔馬.gif

 上図のように、裏面の凸凹な状態で墨書き
されたようにも見えるが、漢字で奔馬と書か
れているようにも見える。過去何回かの例で
は、奔馬では無いから、江戸時代成立の
大局将棋の成立を意味してはいないであろう
としてきたが、そうではなくて、本当に

このケースは、奉ではなくて奔馬に見える。

 馬を献上したのではなくて愛馬だが、暴れ
馬が、藤原秀衡の母の屋敷に居たのかもしれ
ない。が、

仔細は謎

である。
 近接平泉町祇園第Ⅰ遺跡で「兵奔王」土器
が出土しているので、

同様に注意すべき

遺物であろう。
 屋敷で使用する乗用馬は多数頭居て、この
ケースは源頼朝に献上するつもりも無く、一
頭が他界したので、霊前にカワラケに酒を入
れて、供養するのに容器の一枚を転用のかも
しれない。軍馬が必要なのは当然かもしれな
いが、奥州藤原氏関連の豪族の屋敷には、馬
が多数飼われていた事を、恐らく示している
のであろう。(2022/04/30)

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