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福岡県上毛町郷ケ原遺跡で4C奔馬墨書土器(長さん)

今回は、以前弥生時代の奉王墨書土器を
紹介した福岡県上毛町の遺跡で、弥生末~
古墳時代初の成立と見られる土器に、
奉馬と書かれたような遺物が複数出土して
おり、

漢字「奉」の伝来は飛び抜けて早い

事を示しているとの例の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
57565_1_郷ケ原遺跡.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
豊前バイパス関係埋蔵文化財調査報告第10集
郷ケ原遺跡、1998、福岡県教育委員会。
 遺跡の場所は、発掘報告書冒頭の例言に
よると、福岡県築上郡上毛町(当時:大平
村)大字上唐原・大字下唐原。
 遺物が出土したのは、発掘報告書の第1
ページ付近の記載によると、西暦1985
年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第
254ページの記載から、遺跡自体が、
弥生時代後期から古墳時代初にかけての
成立であり、遺物もその頃のものと、読取
れるように考える。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
61の2段目と3段目の右側の2つの広口
の金魚鉢のような形をした2個の土器であ
り、2段目は遺物番号J5-5番、3段目
はJ5-8番との旨、ナンバリングされて
いる。
 以下に、2段目遺物、3段目遺物の順で
2個の出土土器の写真を紹介する。

郷ケ原奔馬1.gif

 2段目の遺物は、煤模様のうち、右の端
で、画面の中央右の、黒い模様の固まりが、
上下で縦に漢字の奉馬のようにも見える物
である。

郷ケ原奔馬2.gif

 3段目の遺物は、画面の中央、やや左に
寄って奉。その下に馬にも見える、ぼんや
りとしているが、漢字で縦に奉馬とも読め
るような、煤模様の在る、J5-8番土器
である。なお、J5は、第5号竪穴住居跡
の意味のようである。
 遅くとも4世紀。あるいは弥生時代の、
2~3世紀の成立で、本当にあるとすれば、
有力者に馬を奉じる目的で、付近に牧場等
が在った事を意味するのかもしれない。そ
してそこには、識字層がたまたま居たのか
もしれないが、漢字の”奉”や”馬”の成
立が九州北部の福岡県東部では、相当に早
い事を物語っていると私見する。中世に、
城井氏の居城が形成されたと聞く豊前中津
方面では、大陸への鉄の売買等で、巨大な
富を得た有力豪族が、古墳時代の早期には
既に存在し、軍馬を集めていた事を示して
いるのかもしれない。(2022/06/22)

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