SSブログ

福岡県上毛町郷ケ原遺跡は奔馬墨書土器計7個(長さん)

以前古墳時代初期の奉馬墨書土器を紹介し
た、表題の福岡県築上郡上毛町の遺跡で、
奉馬土器は2個ではなくて同じ発掘報告書
に、あと5個在るのに、本ブログの管理人
は気がついたので、以下に紹介する。

上毛町旧大平村側唐原の古墳時代初期牧場
の馬の数は、多かった

ようである。
 今回紹介する遺物は以前に紹介した2個
と発掘報告書も同じだし、pdfファイル
も同一である。
 発掘報告書は前に紹介したように、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
繰り返すと、次の通り。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
57565_1_郷ケ原遺跡.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
豊前バイパス関係埋蔵文化財調査報告第10集
郷ケ原遺跡、1998、福岡県教育委員会。
 遺跡の場所は、発掘報告書冒頭の例言に
よると、福岡県築上郡上毛町(当時:大平
村)大字上唐原・大字下唐原。
 遺物が出土したのは、発掘報告書の第1
ページ付近の記載によると、西暦1985
年前後で、以上も既に紹介済みである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第
254ページの記載から、遺跡自体が、
弥生時代後期から古墳時代初にかけての
成立である。残りの5個も同様とみられる。
 遺物の写真は、3個目が発掘報告書の、
写真図版第76の第3段目左側に在り、
遺物番号(第22竪穴住居跡の)第19番
とナンバリングされている。今度は卵型の
甕のように私には見える土器である。

郷ケ原奔馬3.gif

上図のように、右側に縦に漢字の奉馬のよ
うに読める、煤模様が在る。
 遺物の写真の4個目は発掘報告書の、
写真図版第79のやはり3段目左側に在り、
遺物番号(第32竪穴住居跡の)第8番
とナンバリングされている。これも卵型の
甕のように私には見える土器である。

郷ケ原奔馬4.gif

上図のように、今度は左側に縦に、漢字の
奉馬のように読める、煤模様が在るが、濃
いものの、馬の字が小さい。
 遺物の写真の5個目は発掘報告書の、写
真図版第102の第1段目左側に在り、
遺物番号(第3号方形周溝の)第23番
とナンバリングされている。金魚鉢型の土
器のように私には見える遺物である。

郷ケ原奔馬5.gif

上図のように、写真の右側に縦に、カスレ
て漢字で奉馬のような煤模様があり、それ
とは別に、中央上端と、半時計回りに字が
回転変形しているが、奉・奉と書いてある
ように見える、濃い煤模様が在る。なお、
方形周溝と竪穴住居跡とは関連しており、
どちらも弥生時代後半成立と、見られてい
るようである。
 遺物の写真の6個目は発掘報告書の、写
真図版第124の第3段目左側に在り、
遺物番号(第2号溝状遺構の)第200番
とナンバリングされている。卵型の割れた
甕型土器のように私には見える遺物である。

郷ケ原奔馬6.gif

上図のように、写真の右側に縦に、煤に埋
没して漢字で奉馬のような煤模様がある。
なお第2号溝状遺構については出土遺物が
大量に有ったらしく発掘報告書の第250
ページ付近に、弥生時代後期成立だろうと
の旨記載されている。私見だが馬の厩舎か。
 遺物の写真の7個目は発掘報告書の、写
真図版第127の第3段目右側に在り、
遺物番号(第2号溝状遺構の)第239番
とナンバリングされている。棺桶型の土器
のように私には見える遺物である。

郷ケ原奔馬7.gif

上図のように、写真の左側に縦に、漢字で
かなり濃く奉馬のような煤模様がある。牧
場主の、棺桶の片方なのであろうか。
 既に述べたように、これらの遺物を加え
た、計7個の奉馬と書かれたように見える
墨書土器から、2~4世紀に、有力者に馬
を奉じる目的で、付近に牧場等があり、
実際には大量に馬が飼われていた事を意味
するのかもしれないと、見て取れるように
思える。全部軍隊用の馬になったとすれば、
たいへん有力な豪族が存在したのであろう。
(2022/06/23)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。