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山梨県北杜市下原遺跡で縄文中期山泰墨書土器(長さん)

今回は、縄文時代中期半ば、紀元前20世紀頃
成立と発掘報告書に記載された土器に、漢字
で墨書「山奉」と、奉墨書が書かれているよう
に見える、山梨県の出土土器の紹介である。

山奉墨書の成立は、山梨県の八ヶ岳山麓付近
では、かなり早かったのであろう。

遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
7068_1_原町農業高校前下原遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第210集
原町農業高校前(下原)遺跡(第1次)、
2003.3、山梨県教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の場
所は、山梨県北杜市(北巨摩郡長坂町:当時)
渋沢1007-19。遺物が出土したのは、
西暦2000年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第22ペー
ジによると、問題の土器は第Ⅱ群に属する形を
しており、縄文時代中期半ばの成立と見られて
いるようである。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第74
(PL-74):”縄文土器(2)第5号住居
跡(2)”の、下から2段目の左に在り、遺物
番号第166番との旨、ナンバリングされてい
る。口の広いコップのような形に私には見え、
写真からは、縄文が在るかどうか私には良く判
らない。

原町農業高校山泰.gif

 上図のように、写真の中央やや左に寄って、
縦に漢字で山奉と書かれ、山の字の背景に、私
には白抜きで、八ヶ岳のような形の山が絵で、
表現されているように見える。
 これまでの「奉」墨書土器の中でも、本品は、
成立時代が早いと主張されたレコードでは無い
だろうか。

 言うまでもないが、紀元前20世紀に日本で、
漢字が成立していたとしたら、驚異である。

 私見だが、弥生時代にこの土器を、帰化人が
掘り出して、縄文が邪魔ではなかったので、祭
祀用に、字と絵を描いて使ったのではないかと、
想像する。そもそも現地は高原避暑地に近い所
のようであるから、鉱物資源を捜索する者が、
地面を掘削する作業を、いかにもしそうな所で
ある。いったん紀元前後に、この遺物は出土し
て墨書されたのでは、なかろうか。
 何れにしても、山を奉じることが、八ヶ岳
山麓でも、飛びぬけて早くから行われていた事
は、八ヶ岳が奉じられるような、形の整った山
だったとは言え、興味深い事だと私は考える。
(2022/07/25)

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