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宮崎県宮崎市余り田遺跡で、古代奔川墨書土器(長さん)

今回は、宮崎県宮崎市の大淀川へ流れ込む
小川のほとりとみられる場所の遺跡で、本
ブログの管理人の読みでしか無いが、漢字
で奉川と書かれている墨書土器が2~3枚
在るとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
3186_2_余り田遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
宮崎県埋蔵文化財センター発掘調査報告書第1集
余り田遺跡、1997年3月、宮崎県埋蔵文化財センター。
pdfファイルは、第1pdf:
3186_1_余り田遺跡.pdf
の途中から、写真図版になり、以下第3
pdfまで続く。
 遺跡の場所は、発掘報告書の第3pdf
末尾の抄録によると宮崎県宮崎市大字浮田
字余り田。遺物が出土したのは、同じく抄
録によると、西暦1995年前後の事のよ
うである。
 遺物の成立年代は発掘報告書の第103
ページ付近の記載によると、余り田Ⅱ区で
は、大量の遺物が出土したが、大半は古代
成立と見られているように読取れる。なお
遺跡全体で、墨書土器の出土が150個程
度に達したとのことである。
 遺物の写真は、発掘報告書第2pdfの、
写真図版第22の第1段目と第2段目の、
何れも右端に、ほぼ同じ文字とみられる、
漢字で2文字書かれた墨書土器が2つ在る。
上段に遺物番号第349番、第2段目に、
遺物番号第350番との旨のナンバリング
が在る。また発掘報告書の、第47ページ
付近によると、遺物番号348・349・
350は、同一文字かつ字体も類似であり、
波太または、得万と発掘報告書では釈文さ
れているように読取れる。なお、遺物番号
第348番の土器は、文字が写真の裏側に
回っているのか、私には墨書の部分が確認
出来ない。
 遺物番号第348番と349番が杯、第
350番は椀とみられていると、同じく発
掘報告書から読取れる。

余り田奔川.gif

 上図のように、第349番土器の第2字
目は、川が自然の読みである。第1字目は、
上下どちらの遺物も、何の字か、正確には
判らないので、波・得で無いという証明は
困難だ。が、上図を見る限り第1字目に、

サンズイやギョウニンベン等の「へん」が
存在しない

と私見する。「へん」が無いので、

「奉」だと解釈した方がマシなことは確か

なのではないか。大淀川か近傍の山からの
支流からか、古代に砂金ないしは、大量の
鉄鉱石が取れたので、川の神に感謝したと
いう祭祀土器群と考えても、問題が無いの
ではないかと思う。私は個人的に、これら
の遺物に関して、発掘報告書の釈文を疑っ
ている。(2022/07/26)

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