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兵庫県神戸市松野遺跡で鎌倉期泰山墨書土器(長さん)

本ブログでは、中国漢王朝期の弥生時代後期
に、日本の九州と近畿で帰化人から広まった、
山を奉じる祭祀と、有力者に馬を献上する実
態納税の行為が開始されたと見ている。現在
では大いに変形し、祭祀は残るが神道の儀式
と、区別はつかなくなっていると見られる。
では山を奉じ馬を献上した習慣は、近畿地方
で、何時まで弥生時代式として明快であった
のかという点について、今回は、奉山と馬奉
墨書が同時の発掘で出土した神戸市松野遺跡
で、鎌倉期と示唆されている証拠が在るとい
う点につき、以下に紹介する。
 その奉山・馬奉各墨書遺物の写真はweb
上に公開されていて発掘報告書に載っている。
発掘報告書が奈良文化財研究所の発掘報告書
データベース、全国遺跡報告総覧に登録・
公開されている。pdfファイル名は以下の
通りである。
10455_1_松野遺跡第11~23・25・26・29~31次水笠遺跡第2・.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
松野遺跡第11~23・25・26・29~31次
水笠遺跡第2・3・5~15・17~21次
発掘調査報告書、西暦2002年10月31日、
神戸市教育委員会。
 なお、全国遺跡報告総覧データベースに
pdfを登録する時に、第1pdfと
第2pdfとを入れ違え、第2pdfが本文
pdf。第1pdfが写真図版のpdfになっ
ている。
 第1写真図版pdf末尾の抄録によると、
遺物は松野遺跡の第19次発掘で出土したが、
松野遺跡の位置は、兵庫県神戸市長田区
松野通4丁目。遺物が出土したのは、西暦
2000年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、同じく抄録や、発掘
報告書第1本文pdfの、第34ページの記
載から第1土坑で出土したが、出土遺物から、
第1土坑は鎌倉時代成立と、見られているよ
うに読取れる。
 遺物の写真は、奉山墨書土器が、第1写真
pdfの写真図版55の最上段中央に在り、
遺物番号で第6番とナンバリングされている。
土器の破片のようである。

松野遺跡泰山.gif

 上図のように縦に、間が開いて、ほぼ真ん
中と下隅に、奉と山の字が、書かれているよ
うに見える。
 次に馬奉墨書遺物については、同じく発掘
報告書第1写真pdfの写真図版第54の、
下カラム:”2.松野遺跡第19次SK01
上層”の、下から2段目左側に在り、遺物
番号第5番との旨、ナンバリングされている。
杯型の土器のように、私には見える。

松野遺跡奔馬.gif

 上図のように、杯の写真の右下に漢字で、
馬のような模様が、まず目につき、ついで、
その馬の字に少し重なって、右下に奉の字が
書いてあって、合わせて馬奉の意のように、
私見される。
 馬の収め先は、北条時宗か小山朝政であっ
て、漢王朝の皇帝では当然無いのであろうが。
蛇足だが13C初時点、つまり小山朝政の時
代の発掘現場が播磨国なのか、摂津国なのか
は、私には良く判らない。何れにしても、土
地の有力者の祖先に見立てられた山を奉じ、
そして有力者へ駿馬を献上の意味は弥生時代・
古墳時代・古代・中世鎌倉期と、神戸市の下々
の側から見れば、格別大差は無かったのかも
しれないと、私には疑われる。(2022/07/30)

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