三重県松坂市朝見遺跡で10C後奔王墨書陶器(長さん)
今回は、三重県松坂町の遺跡で、奔の字が
はっきりしないが、奉王では無く奔王のよう
にも見える、10世紀後半成立の遺物の紹介
である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
21154_1_朝見遺跡第1・2次発掘調査報告.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
朝見遺跡(第1・2次)発掘調査報告、2014年10月、
三重県埋蔵文化財センター。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、三重県松坂市和屋町。遺物が出土したの
は、遺跡の第7区で西暦2011年前後の事
のようである。
遺物の成立年代は、土坑第49号の下層で
出土し、発掘報告書の第88ページによると、
10世紀後半ではないかと書かれているよう
に読取れる。官衙の遺物のようである。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第24:
”出土遺物墨書土器(3)”の、下から2段
目の右から2番目に在り、遺物番号第
1246番との旨、ナンバリングされている。
杯状の陶器の破片の底の部分のように、私
には写真は見える。
上図のように、第2字目は、右下が欠けて
いるが王のように見え、その上に第1字目が
有るが、下部は奔のようでも卅のようでもあ
り、その上に毋が乗っているようにも見える
が、はっきりしない。発掘報告書では、全体
で1字と見て、「葉」ではないかとしている。
なお、発掘報告書ではこれとは別の、遺物番
号で1240番とナンバリングした遺物と、
同じ文字と見ているようである。発掘報告書
が間違いと決め付けるのは困難だが。葉に、
絶対間違い無いとまでは、言い切れないので
はないかと私見する。なお2文字で「奔王」
の可能性は皆無ではないが、奉王である可能
性は、このケースにはほぼ無いだろう。
すると何故奔王と10世紀後半に書いたの
かは謎ではある。
そこで更に、imeパッドで字をチェック
して行くと、
発掘報告書の言うように、1文字の可能性が
浮かぶ。
だが「葉」では無く、「勤」等の字の左側を
見ているように見える。官衙の守り神とか、
守りにはげむといったような意味のように
感じられる。本ブログの管理人にははっきり
とは意味が分からない。(2022/10/16)
はっきりしないが、奉王では無く奔王のよう
にも見える、10世紀後半成立の遺物の紹介
である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
21154_1_朝見遺跡第1・2次発掘調査報告.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
朝見遺跡(第1・2次)発掘調査報告、2014年10月、
三重県埋蔵文化財センター。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、三重県松坂市和屋町。遺物が出土したの
は、遺跡の第7区で西暦2011年前後の事
のようである。
遺物の成立年代は、土坑第49号の下層で
出土し、発掘報告書の第88ページによると、
10世紀後半ではないかと書かれているよう
に読取れる。官衙の遺物のようである。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第24:
”出土遺物墨書土器(3)”の、下から2段
目の右から2番目に在り、遺物番号第
1246番との旨、ナンバリングされている。
杯状の陶器の破片の底の部分のように、私
には写真は見える。
上図のように、第2字目は、右下が欠けて
いるが王のように見え、その上に第1字目が
有るが、下部は奔のようでも卅のようでもあ
り、その上に毋が乗っているようにも見える
が、はっきりしない。発掘報告書では、全体
で1字と見て、「葉」ではないかとしている。
なお、発掘報告書ではこれとは別の、遺物番
号で1240番とナンバリングした遺物と、
同じ文字と見ているようである。発掘報告書
が間違いと決め付けるのは困難だが。葉に、
絶対間違い無いとまでは、言い切れないので
はないかと私見する。なお2文字で「奔王」
の可能性は皆無ではないが、奉王である可能
性は、このケースにはほぼ無いだろう。
すると何故奔王と10世紀後半に書いたの
かは謎ではある。
そこで更に、imeパッドで字をチェック
して行くと、
発掘報告書の言うように、1文字の可能性が
浮かぶ。
だが「葉」では無く、「勤」等の字の左側を
見ているように見える。官衙の守り神とか、
守りにはげむといったような意味のように
感じられる。本ブログの管理人にははっきり
とは意味が分からない。(2022/10/16)
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