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兵庫県朝来市芝花弥生墓群で同期竪馬墨書土器(長さん)

今回は、兵庫県朝来市の弥生時代後期の墳墓
から、棺桶とみられる甕型容器に、大局将棋の
駒名である竪馬ないし、賢馬と読める模様が在
る出土遺物が有るとの旨の紹介である。
 弥生時代後期に軍馬用等、馬の牧場が在った
のではないかと私見する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
20180_3_芝花弥生墓群・古墳群.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
兵庫県文化財調査報告第345冊芝花弥生墓群・
古墳群、2008年3月、兵庫県教育委員会。
遺物はこのうち、芝花の弥生墓群で出土したよ
うである。
 発掘報告書第1本文pdfの本文末尾と写真
図版の間に挿入された抄録によると、遺跡の場
所は兵庫県朝来市山東町和賀字向山。遺物が
出土したのは、西暦2000年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は発掘報告書第1本文pdf
の、第9ページ付近の調査の概要によると、
墳墓が全体として、弥生時代後期初頭~前半と
考えられているように読取れる。紀元1~2世
紀頃、多分2世紀であろうか。
 遺物の写真は発掘報告書第3写真図版pdf
の、写真図版第71の右中段に全体の甕型土器
の写真、下段右に、中段の写真の左端を拡大し
た拡大写真が在り、拡大写真の中の黒い模様が、
表題の漢字のように見えるというものである。
なお、発掘報告書で着目しているのは、この黒
い模様では無くて、より上方の”>>>”の形
に見える、刻られた幾何学模様である。

芝花弥生竪馬.gif

上図のように、左から右へ横に2文字在るよう
にも見え、第1字目が「賢」にも「竪」のよう
にも見えて、第2文字が「馬」のように見える。

賢馬を埋葬したという意味なら明快なので、
文字であるとしたら、前者の可能性が高い

と思われる。輸送用・農業用・軍用その他、馬
が何故飼われていたのかははっきりし無いが、

賢い馬であり、可愛がっていたので埋葬した

のかもしれない。山中のため、ここにたどり着
いた事について疑問が残るが、後漢代中国帰化
人等の馬である可能性が一応あると、私見する。
(2022/12/07)

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middrinn

今回の玉稿と関係は無いんですけど、憲法学者の江橋崇が
遊戯史学会に関わっていたことは貴ブログで知りましたが、
今度は百人一首の本まで上梓されたようですね( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2022-12-07 17:55) 

df233285

middrinnさん、情報御提供感謝いたします。ものと人間
の文化史「花札」のある諸芸本は、某図書館等では、
棚前後隣のところもあるので。江橋崇は、カードゲームの
カテの共通性から興味が関連していたんですかねぇ。
たぶんカードになってい無い和歌になると、和歌そのもの
からは、カテが遠いので。解説の質に落差ができる懸念が。
by df233285 (2022-12-08 08:03) 

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