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岡山県邑久町熊山田遺跡で弥生中泰山墨書土器(長さん)

今回は、紀元前3世紀、中国の戦国時代後期
に当たる日本の弥生時代中期半ば成立とされ
る、岡山県瀬戸内海の海岸熊山田遺跡で遺物
に漢字で「泰山」と書かれ、背景に山の絵の
ような模様の付いた、比較的大きな甕のよう
な土器が出土しているとの旨の紹介である。

比較的早い中国大陸からの帰化人遺物である

疑いが有ると私見する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
13306_1_熊山田遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
邑久町埋蔵文化財発掘調査報告1熊山田遺跡、
2004、岡山県邑久町教育委員会。
 発掘報告書本文末尾、写真図版の前にある
抄録によると遺跡の場所は、岡山県邑久郡
邑久町山田庄字月ノ木363番地。遺物が
出土したのは西暦1983年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は発掘報告書第114ペー
ジ付近の「まとめ」によると、遺物の形態か
ら、弥生時代中期半ばの紀元前3世紀と、
かなり早いように見られていると読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第17:
”斜面堆積1出土遺物”の下段右に在り、
遺物番号第283番との旨、ナンバリング
されている。かなり大きな甕型土器が再現さ
れたように、私には認識される。

熊山田泰山.gif

 上図のように、中段右側の縁に近い部分の
破片に、漢字で無骨な文字で「泰山」と書か
れていて、背景に山を表現したように私には
見える囲みがある。
 紀元前3世紀の成立となると、伝来した漢
字としては著しく早くまた、道教信仰の大陸
での成立年代の議論にも影響があり得る。
 よって、

本物の字だとすれば、そうとうに貴重な遺物

なように、私には感じられる。瀬戸内海への
帰化中国人等の到達が、相当に早かった事を
示唆している疑いが有ると私見される。
(2023/04/09)

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