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長崎県壱岐市原の辻遺跡で弥生期山泰墨書土器(長さん)

 以前、長崎県の壱岐島の遺跡で、土器の
内面に「立行」ないし「竪行」に見える
ような、暗い模様の入った、土器のカケラ
が出土したとの旨紹介した。が、今回は、
同じ発掘報告書に、別の年度だが弥生後期
成立に間違い無いとみられる、漢字で
「奉山泰」と読めるような模様のある、
墨書壷土器が出土していると取れる、写真が
公開されているとの旨の話題である。
 奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧内の、pdfファイル、
発掘報告書の名称、遺跡の場所、出土年、
遺物の成立年代は、順に以下の通りである。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
132014_1_壱岐原の辻遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
壱岐原の辻遺跡、2023.7、宮本一夫編、
九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室。
 発掘報告書冒頭の例言により遺跡の場所は、
長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触、遺物が出土
したのは、西暦1951年前後のようである。
発掘報告書第1ページ付近の「地理的環境」
によると壱岐島の、南東部に在るようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第86ペー
ジ付近の記載によれば、下大隈式土器とみら
れ、それは弥生時代後半期の2~3世紀頃の
成立のものと、考えられているように読み取
れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第35・
第1次調査(1951年)出土土器(2)の、
第2段目左に在り、遺物番号第276番との
旨、ナンバリングされている。繰り返すと、
弥生式土器の壷と記載されているように、
本文86ページ付近から読み取れる。

原の辻山泰.gif

 上図のように、胴の中央のほぼ中段、僅か
に右寄りに、漢字で山に見える暗い模様が在
り、その下に、ややはっきりしないが「泰」
のように見える模様がある。山の上の暗い
部分も、更にはっきりし無いが「奉」かもし
れない。「奉山泰」で奉泰山の意味であり、
中国六朝期の「道教」が、壱岐に弥生期の
後期末伝来した事を、示しているようにも見
える。
 この土器については、発掘報告書でも、
成立期に自信が有るようであり、渡来人に
よる早期の、母国漢字の使用を示している疑
いが、完全否定は出来無いのではないかと、
本ブログの管理人は、疑っている。(2023/08/04)

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