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山形県大楯遺跡の桂馬駒。実は”紅楓”か(長さん)

以前述べたように、天童の将棋駒と全国遺
跡出土駒の遺跡番号9に記載された
スケッチの、山形県大楯遺跡の桂馬は、
写真とかなり違う。

紅楓(もみじ)とは読めないか。

山形県大楯桂馬.gif

以上のように、私が思考した事を以下報告
する。
 繰り返すと、web上に公開された、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧のpdfファイルは以下
の通りである。
6199_2_大楯遺跡第1次発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の名称は、
山形県埋蔵文化財報告書121
集、大楯遺跡第1次発掘、1988年、
山形県・山形県教育委員会編である。
写真は、図版15の左上に有る。
遺物番号は、19-1とナンバリングされ
ている。
遺跡は山形県飽海郡遊佐町大字小原田にあ
り、遺物は1987年に発掘されたようだ。
聞香札風の木製品が共出土しており、室町
時代風である。良く見ると、

2字目は楓と読むのが自然

である。とすれば1字目は、楓が紅葉樹の
代表樹木であるから、

紅の字の最後の2画が、特に目立って残っ
ていると見ても、矛盾が無い。

ヘンは”王”のように見えるが曖昧で薄く、
糸ヘンを否定するだけの根拠は乏しい。
 なお、以下のサイトによると紅楓は普通、
「こうふう」と読むが、近代の小説に、
「モミジ」と読んだ例が幾つか有るとの事
である。
https://furigana.info/
右上の検索窓に”紅楓”と入力すると、記
載されるようだ。
 よって、山形県大楯遺跡の桂馬とされる
木製品は、モミジに掛けられた”紅楓の表
示札”であっても矛盾が無い。
 確かにこれでは余り時代感が出ておらず、
話として、ほとんど面白みが無いかもしれ
ないが。室町時代頃の日本人の、自然に対
する感覚が、現代人と余り大きく変わらな
い事が判ったとしても、このケースには特
に、大きな問題は無いのではないか。
 よって、この木製品には桂馬ではなくて、

紅楓(もみじ)

と書いてある疑いがある。以上のように、
本ブログでは今の所、判断致す事としたい。
(2021/03/22)

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