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富山県中名Ⅴ遺跡より成り一文字金竪行駒(長さん)

従来、摩訶大大将棋、摩訶大将棋
パターンとして矛盾の無く、裏オモテ
の字が書かれた出土駒は、鶴岡八幡宮
境内遺跡の汚れた歩兵駒(本ブログ説)
の他、堅田B龍馬駒、小山神鳥谷曲輪
角行駒の3枚である。今回は本ブログ
管理人が遂に

4枚目となる、成り一文字金竪行駒ら
しい出土遺物をweb上の発掘報告書
上で発見

したので報告する。出土場所は、
富山県婦負郡婦中町中名の中名Ⅴ遺跡。
遺物が発掘されたのは、前世紀の末の
1999年頃のようである。

呪術符とされ、底部がはっきりしない。
墨書は今述べたようにも読める。

 詳細は以下の通りである。web上、
にpdfファイルとして写真があり、
奈良文化財研究所発掘報告書データベー
ス全国遺跡報告総覧に登録されていて、
そのpdfファイル名は以下の通りで
ある。
14202_11_中名Ⅴ・Ⅵ遺跡、砂子田Ⅰ遺跡発掘調査報告.pdf
発掘報告書の名称は以下の通り。
富山県文化振興財団
埋蔵文化財発掘調査報告第26集
中名Ⅴ・Ⅵ遺跡、砂子田Ⅰ遺跡発掘調査報告
2005年、財団法人富山県文化振興財団
埋蔵文化財調査事務所。
なお今述べた表題は、表紙として以下
の、別のpdfファイルのトップペー
ジに有る。
14202_1_中名Ⅴ・Ⅵ遺跡、砂子田Ⅰ遺跡発掘調査報告.pdf
写真はpdf11番の方のpdfファ
イルの”写真246”、
出土遺物(木製品)中名Ⅴ遺跡E1・E2地区
の左上にある。

富山県中名V竪行.gif

説明が、表紙の有るpdf1番の55
ページ等に有り、発掘者は呪術符と見
ている事が判る。
 オモテは3文字、裏が2文字と見て
いるように、スケッチ図は14202_5_
別の第3のpdfの、”図面317”
に書かれている。が、左側の写真で、
”る”に見える墨跡で最後の”丸まり”
部分が連続しているように私には写真
を見ても見えず、また、右側の写真の、
”る”に見える墨跡は、存在するよう
に、写真を見ても私には見えない。つ
まり私には、左は3文字ではなくて
2文字、右は2文字ではなくて1文字
のように見えるという意味である。
 ただし報告者が指摘しているように、
ちぎれていて、底部が無く、

はっきり将棋駒であるとは証明困難

である。ようするに報告者の言うよう
に、墨跡が両面に有るように、私にも
見え、右側が崩しの弱い”金”のよう
にも見えるので、将棋駒の遺物のよう
にも見えるという事である。繰り返す
が、左側も2文字有り、上はいっけん
記号のようだが、2文字目は見ように
よっては行のようにも見える。一文字
目も、行駒だろうと見て角か横か竪か
と3タクで読もうとすると、字の下部
が”立”のようにも見えてくる。その
為よって、

大将棋系の駒だとすれば、未発見だっ
た、不成りか金成りかの竪行の類であっ
て、実物は金成りの竪行かもしれない

という事になる。そこで八木書店の
色葉字類抄・二巻物(2000)の、
”大将基馬名”の記載内容を、さしあ
たり、混乱を避ける為に考えない事に
して将棋纂図部類抄等の摩訶大大将棋
の駒類に限定して、文献との対応に、
忠実に見る事にすると、

その摩訶大大将棋の竪行が発見された
という結論になる

と、一応考えられる。
 なお、遺跡は中世とされているだけ
で、成立年ははっきりとしない。が、
冒頭pdf1番の2ページ付近の記載
によれば、中名Ⅴ遺跡が文献に盛んに
書かれたのは、南北朝時代の頃だとい
う事である。よって誤差が甚だしいも
のの、

今回の出土駒は、小山神鳥谷曲輪駒の
成立年に近いとも取れる

という事になるようだ。
 やはり問題は底部が切れているので、

呪術符の誤認であって将棋駒ではない

という可能性であろう。そこで他の遺
物を見てみると、この遺跡では、他に
も将棋駒ではないかと疑われる五角形
木板が出土している。写真の記載場所
は、今度は発掘報告書のpdf11番
の、写真234、出上遺物(木製品)
中名Ⅴ遺跡A1地区の3段目の、左か
ら2番目であり、遺物番号は028で
ある。

富山県中名V将棋.gif

上記図の遺物については説明が、発掘
報告書のpdf1番の22ページ付近
にあり”木板”とだけ書いてあり、

縮尺が良く判らない。

形は、将棋駒のようにも見える。
 遺物が何れも南北朝時代とは確定出
来ないのが残念だが。

悪狼・猛豹・猫叉発見以前に、金成り
だが、竪行らしき駒が発見された

事は、普通唱導集大将棋の108枚説
にとって

また1歩前進。

以上の心象を受ける、状況のようになっ
たと感じる。なお、摩訶大大将棋では
なくて今回の遺物を普通唱導集大将棋
駒と見る場合に於いて不成でないのは、
鎌倉末期に”小将棋・少将棋用別書体
成り金”を開発した麒麟抄が成立して、
大将棋の金に成る駒の管理がしやすく
なった事。および、角・横・竪行を、
”悪行・善行”では無くて、”行を行
う者”と見る傾向が増した事。以上2
つの理由で起こった成りルールの変更
(不成→金将成り)であると見るのが、
本ブログ従来の見方である。(2021/03/23)

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