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鹿児島県姶良市小瀬戸遺跡で刻書仲人土器(長さん)

これまで本ブログでは、実在が怪しい物も
含めて、篠本城跡仲人、佐賀県中原仲人、
島根県山持遺跡仲人、鹿の子C遺跡仲人の
4遺跡の仲人土器、石器を紹介して来た。
が何れも、存在が疑われるか、墨書きが、
薄く残った遺物であった。
 さいきんweb上に、同種の平安初期
以前の仲人土器であるが、刻書で書かれて、
画像がより、はっきりした例が有るのに
気がついた。
公開場所は、今回も度々紹介した、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に発掘報告書が登録され
ていて、その中に写真があり、そのpdf
ファイル名は以下の通りである。
23037_3_九州縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告ⅩⅢ.pdf
発掘報告書の表題は、23037_1_pdfファ
イルに有り、以下の通りである。
鹿児島県埋蔵文化財発掘調査報告書(22)
九州縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告⑬
1982年3月、鹿児島県教育委員会。発
掘されたのは1972年前後のようである。
遺跡は、鹿児島県姶良市(旧・姶良郡姶良
町)西餅田字小瀬戸にあり、23037_1_
pdfファイルの54ページによると、
”奈良時代末期~平安時代にかけての地方
官衙的な要素の強い、生活址の遺跡である”
との旨のことである。本ブログに於いて、
これまで紹介した仲人土器と、概ね同様な
成立時期のものであると見て良いだろう。
 遺物の写真は、前記23037_3_の114
ページ、墨書・刻書土器にあり、左下に
載っていて、遺物番号8番とナンバリング
されている。

鹿児島小瀬戸仲人.gif

上図のように、彫ってあるので墨書よりは
見易い。ただし今度は、傷が邪魔であり、
仲人ではなくて仲人人のようにも見える。
また、人の字の最後の画のハライが、若干
短い。この例も怪しい字には間違いない。
 事実発掘報告者は、私には発掘報告書が
正確には読み取れていないが、

”仲家”と読んでいる疑いがある

ようだ。”仲家”が何処に書いてあるのか、
私には確認できていない。
 繰り返すが、家ではなくて人だとすれば、

仲人は平安大将棋の成立時に有った

のであるが、”なこうど”や”専門技術者”
が、”スパイ”や、”係争調停者”と違っ
て、将棋ゲームの最前列に置くのが不都合
だった。ので、平安大将棋では、”注人”
に変えられたとしか、説明出来ないという
性格の単語という事になるのであろう。
 以上の事は、鮮明に、平安大将棋の平安
時代末~鎌倉時代草々の時代以前の土器に、
仮に書いてあれば、そう考えるしか無い。

その証拠が現実に40年前に出土している。

今回紹介した遺物は、以上を示す物品であ
るというのが、本ブログの今の所の見方と
いう事になる。(2021/03/24)

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