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仙台城周辺遺跡の瓦に描画の将棋駒絵追加(長さん)

以前に、仙台城二の丸北方武家屋敷から、
瓦に金将らしい将棋絵の書かれた遺物や、
木の板に、寿の字を書いて将棋駒を表した
絵が描かれた遺物の出土を紹介した。
 東北大学では、仙台城周辺の当該遺跡の
発掘を断続的に、何回か実施しているらし
く、付近の別の武家屋敷跡から、金将瓦絵
の仲間と見られる遺物の写真を、本ブログ
の管理人が発見したので、以下に紹介する。

大局将棋関連の初の出土遺物となる”猛龍”
駒の絵かもしれない。

写真はいつものように、奈良県の
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録された同じ遺跡の、
金将等とは別のコンテンツの発掘報告書で
ある。
 web上、データベースとして登録され
たpdfファイル名は、以下の通りである。
9466_2_仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第11地点・第12地点.pdf
この発掘報告書の表題は以下の通りである。
東北大学埋蔵文化財調査室調査報告1
仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区
第11地点・第12地点
東北大学埋蔵文化財調査室、2011。
 そこの図版79武家屋敷地区第11地点
出土瓦質土器(4)の最上段中央に、
遺物番号19とナンバリングされた瓦とみ
られる遺物の写真の表面左下に、五角形の、
金将のケースと同様とみられる、白抜きの
将棋駒型五角形のカゲが有る。中に

字が書いてあるが正確にはどう読むのか私
には判らない。

仙台城猛龍.gif

最も近い字は、第1字目は猛のようであり、
第2字目は、下線や、その上に乗った八の
字を無視すれば、龍のようでも有る。

仮にこれで正しければ、”猛龍”となり、

仙台城付近の住人に大橋家作成の大局将棋
が知られていた証拠という事に、なるのか
もしれない。ただし、文字通り絵に描いた
餅であるから指されていた証拠にはならず

大局将棋について、噂が飛び交っていた
証拠という程度の物品

と、少なくとも私は見ている。
 なお駒本体に対し、字は曲がって描かれ
ておらず、自然に出来たの模様だとしたら、
このケースは、かなり不思議であろう。
 付近で日本将棋が指されていたのは、出
土駒から自明であるし、大局将棋が成立し
ていたと本ブログが見る、徳川家治時代よ
り、瓦の埋蔵は発掘報告書の115ページ
の記載からみて後の、19世紀のようであ
るから、出土して、特に不思議は無い遺物
ではなかろうかと解釈する。なお江戸時代、
大局将棋が仙台城付近の住人に対して隠匿
されていたとも、特に考えにくいだろう。
 よってこの瓦の絵は、仙台城周辺では
江戸時代、将棋文化が大いに栄えていたと
見て、概ね良い証拠のように、私には思え
る。(2021/04/23)

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