青森市の川原館遺跡で中近世方行墨書土器(長さん)
今回は、安土桃山時代成立ともみられる
遺物土器に、方行の漢字模様のようにも
見える遺物があるという紹介である。
方行ではなく、「にろ(□の中に)生」と
書かれている
のではないかと疑われる。
遺物の写真がweb上に公開されており、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
19338_2_川原館遺跡・中道遺跡・東早稲田遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
青森市埋蔵文化財調査報告書 第120集
川原館遺跡・中道遺跡・東早稲田遺跡発掘
調査報告書、2016、青森市教育委員会。
ここで話題にする遺物は川原館遺跡のB
地区の遺構外地点で発掘され、遺跡の場所
は、青森市浪岡大字浪岡字浅井との事であ
る。また、発掘調査は西暦2014年前後
の事のようであり、第1川原館遺跡本文
pdf:
19338_1_川原館遺跡・中道遺跡・東早稲田遺跡発掘調査報告書.pdf
の末備の抄録に場所と発掘年が載っている。
川原館遺跡B地区遺構外出土である旨は、
第1pdfの164ページ付近に説明が
ある。抄録から中世~近世の遺物であると
判断される。
遺物の写真は第2図版pdfの写真図版
58:”川原館遺跡出土遺物12”の、
4段目右から2番目に在り、遺物番号で、
川原館遺跡編の、本文中図版第121の
702番とナンバリングされている。
容器土器のように見えるが、本文中に特に
説明は無い。
上図のように、右側上隅にいっけんすると、
漢字の方行とも読める模様が在り、
成立年代が巾広く、安土桃山時代でも、お
かしく無い為、大大将棋の将棋駒名から来
ていても、時代として一応矛盾は無い。
しかしながら、大大将棋には在るものの、
泰将棋に方行は無いのは、意味が不明な熟
語であるからだと察せられ、土器に書く格
別な理由は見当たらない。
そこで、上図を更に見ると、その左側に
”□”に囲まれて生とか性に見える模様が
在り、方に見える字の第4画と行のヘンの
第1画目は、その
四角の一部にすぎない錯覚
である事が判る。そこで、□の一部を構成
する部分を除外して見直してみると今度は、
”万そ”と書いてあるように見えるが近世
の変体かなであって、”にろ(煮ろ)”と
命令している
と取れる。よって容器の中身が未調理品で
「生」である事の注意喚起の江戸期のメモ
墨書ではないか
と疑われてくる。
つまり、この遺物の煤のような模様の中
に、調理の手順を書いたメモ書きが有るの
を誤って方行と見たと、疑われて来るので
ある。
よって冒頭述べたように、成立年代の矛
盾は特に無いのであるが、
「方行」と将棋名を書いたのではない
と、この例では疑われると言う事になる。
(2021/10/21)
遺物土器に、方行の漢字模様のようにも
見える遺物があるという紹介である。
方行ではなく、「にろ(□の中に)生」と
書かれている
のではないかと疑われる。
遺物の写真がweb上に公開されており、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
19338_2_川原館遺跡・中道遺跡・東早稲田遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
青森市埋蔵文化財調査報告書 第120集
川原館遺跡・中道遺跡・東早稲田遺跡発掘
調査報告書、2016、青森市教育委員会。
ここで話題にする遺物は川原館遺跡のB
地区の遺構外地点で発掘され、遺跡の場所
は、青森市浪岡大字浪岡字浅井との事であ
る。また、発掘調査は西暦2014年前後
の事のようであり、第1川原館遺跡本文
pdf:
19338_1_川原館遺跡・中道遺跡・東早稲田遺跡発掘調査報告書.pdf
の末備の抄録に場所と発掘年が載っている。
川原館遺跡B地区遺構外出土である旨は、
第1pdfの164ページ付近に説明が
ある。抄録から中世~近世の遺物であると
判断される。
遺物の写真は第2図版pdfの写真図版
58:”川原館遺跡出土遺物12”の、
4段目右から2番目に在り、遺物番号で、
川原館遺跡編の、本文中図版第121の
702番とナンバリングされている。
容器土器のように見えるが、本文中に特に
説明は無い。
上図のように、右側上隅にいっけんすると、
漢字の方行とも読める模様が在り、
成立年代が巾広く、安土桃山時代でも、お
かしく無い為、大大将棋の将棋駒名から来
ていても、時代として一応矛盾は無い。
しかしながら、大大将棋には在るものの、
泰将棋に方行は無いのは、意味が不明な熟
語であるからだと察せられ、土器に書く格
別な理由は見当たらない。
そこで、上図を更に見ると、その左側に
”□”に囲まれて生とか性に見える模様が
在り、方に見える字の第4画と行のヘンの
第1画目は、その
四角の一部にすぎない錯覚
である事が判る。そこで、□の一部を構成
する部分を除外して見直してみると今度は、
”万そ”と書いてあるように見えるが近世
の変体かなであって、”にろ(煮ろ)”と
命令している
と取れる。よって容器の中身が未調理品で
「生」である事の注意喚起の江戸期のメモ
墨書ではないか
と疑われてくる。
つまり、この遺物の煤のような模様の中
に、調理の手順を書いたメモ書きが有るの
を誤って方行と見たと、疑われて来るので
ある。
よって冒頭述べたように、成立年代の矛
盾は特に無いのであるが、
「方行」と将棋名を書いたのではない
と、この例では疑われると言う事になる。
(2021/10/21)
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