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岐阜県揖斐川町上原遺跡で入玉墨書縄文土器(長さん)

今回は煤のような墨跡のような模様が

「入王」とはっきり読める

岐阜県の縄文土器の出土の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
1618_2_上原遺跡Ⅰ.pdf
 発掘報告書名は、以下の通りである。
上原(あげはら)遺跡Ⅰ、1998年、
水資源開発公団・財団法人岐阜県文化財保護センター。
以下は、本文第1pdfに記載された事項で
ある。
1618_1_上原遺跡Ⅰ.pdf
 発掘報告書冒頭の例言によると、遺跡の場
所は岐阜県揖斐郡藤橋村(当時)徳山字上原。
話題とする遺物が出土したのは西暦1990
年から1993年の間前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書54ページ
付近によると、ここで話題にする遺物は、第
3土器棺墓土器棺の、鉢型の棺のうちの一方
であるとの記載が有るようであり、その成立
年代は発掘報告書19ページ付近の記載から、
岐阜県の縄文時代晩期の土器棺墓ゆえ、その
時代の、棺おけ土器だろうとみられていると
読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書第2pdfの、
写真図版第40番:”縄文土器(4)土器棺
墓SZ3~5出土”の左下に在り、遺物番号
で第1003番との旨ナンバリングされてい
る、繰り返すと棺おけの半分として使われた
とされる鉢型土器と見られる出土遺物である。

上原遺跡入玉.gif

 上図のように、かなりはっきりと、漢字で
入王と読める煤のような模様が有る。入玉で
は無いから将棋とは無関係だとは考えられる。

縄文時代晩期の当地岐阜県揖斐川町の有力者
の遺体を納めた棺おけという意味

では無いだろうか。岐阜県の縄文時代晩期に、
墨跡がそれほど早く成立したかどうかは別と
して、

「王」とか「入」といった、近代には日本で、
小学一年で学ぶ漢字が岐阜県では、相当に早
く成立していたのではないか

と、疑われる遺物と考えられるであろう。
(2022/04/23)

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