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島根県出雲市井原遺跡で古墳期山泰墨書土器(長さん)

今回は、島根県出雲市井原遺跡で、古墳時代
成立の土器の破片の裏側に「山奉」と読める
模様があるとの旨の話題である。古墳時代の
墓跡の疑いが在り、139ページ付近の記載
によると、この地点に「死場」との小字地名
が、今でも残存しているという事である。そ
の為、「山の神崇拝」とは、元々古墳時代は、
肉親先祖に対する崇拝であったとの証拠とみ
られる遺物という事になる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
2963_2_新内藤川広域基幹河川改修事業地内井原遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
井原遺跡発掘調査報告書、2003年3月、
島根県出雲土木建築事務所・出雲市教育委員会。
 発掘報告書第1pdf冒頭の例言によれば、
遺物出土の場所は、6箇所調査したうちの第
Ⅰ区であり島根県出雲市日枝町1223-1。
ここで話題にする遺物が出土したのは、西暦
2001年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は発掘報告書第55ページ
の記載によれば、高杯の一部とみられ、第
Ⅰ区のA12グリット(Gr)の第1ピット
(P01)で出土したが、これ自身の遺物の
形から、古墳時代中期、5世紀頃のものと見
られているように読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第20
の最下段、左から2番目に在り、遺物番号、
スケッチ図第61の第4番との旨、ナンバリ
ングされていて、杯の形の土器の底面の写真
のように、私には見える。

内藤川山泰.gif

 上図のように、うっすらと、漢字で縦に、
山奉と書かれているように見え、山岳信仰の
祭祀用高杯土器のようである。が墳墓からの
出土と説明されており、「死場」と今でも、
小字地名が残っていると、発掘報告書で指摘
されている。
 山の神が少なくとも古墳時代に、識字層の
近い肉親先祖と意識されていた疑いを示す、
証拠となる墨書遺物ではないかと、私は思っ
ている。(2022/10/27)

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