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長野県上田市信州大学構内で弥生後奔王墨書土器(長さん)

今回は、以前紹介した信州大学構内遺跡の
発掘調査で、前よりも少し早く作成された別
の発掘報告書に弥生時代の帰化人に関連する
日本人が遺跡付近に居していた事を示唆する、
「夫王(夫は横棒がより多い)」墨書土器が
出土しているとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
332_1_常入遺跡群下町田遺跡4.pdf
なお、前回は5番目の発掘報告書を紹介した。
発掘報告書名は、以下の通りである。
上田市文化財調査報告書第92集
常入遺跡群下町田遺跡Ⅳ
信州大学(常田)総合研究棟新営工事に伴う
常入遺跡群下町田遺跡第4次発掘調査報告書、
2003.3、信州大学・上田市・上田市教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の位置
は、長野県上田市常田三丁目15番1号の、
信州大学繊維学部構内との事であり、遺物が
出土したのは、西暦2002年前後であるよ
うである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第15ペー
ジ付近の記載によると以下に話題にする遺物
は竪穴住居跡第75号で出土し、遺物の形態
から弥生時代後期、西暦紀元1~2世紀頃と
見られているように読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第7の、
カラム:”SB-75の3”で第2段目左に
在る。話題とする遺物は、鉢の台部分とみら
れているように、発掘報告書の遺物観察表か
らは読取れる。

常入遺跡群下町田奔王.gif

 上図のように、遺物の写真に於いて右寄り
の上の方に、横線が3本程度の「夫」と、そ
の下に「王」が縦に計2文字書いて在り、
「夷王」か「奉王」と解釈されているパター
ンだと認識する。
 奉王と書くべきところ、大陸からの帰化人
に漢字を教わったものの曖昧で、遺跡に居し
ていた弥生時代の日本人が、「夫王」等と書
いたようにも見えると私見する。
 信州大学常田校舎近辺に中国後漢王朝時代
の帰化人と日本人の従者が、接して互いに、
竪穴住居に居していたようなイメージを、私
には個人的に懐かせる遺物である。(2022/12/01)

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