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奈良県の藤原宮跡で飛鳥期秦人大山墨書木簡(長さん)

以下、正確な出土場所・発掘時期が不明で、
成立年代は西暦700年前後の藤原宮の時代
と見られているらしい、「秦人」ないし
「秦・・山」を意味するとみられる、濃く書
かれていて、内容が明確な木簡が出土してい
るとの旨の、成書情報である。
 成書は以下の、かなり以前に出版されたも
のである。
図説発掘が語る日本史(第3巻)東海・北陸編、
坪内清足監修;八賀晋他著、㈱新人物往来社、
西暦1986年。
 その第5(Ⅴ)編:飛鳥・奈良時代;6.
塩を輸す国-(京都府)若狭に、塩を輸した
人物名を記した木簡の一枚として、第226
ページ付近に以下に話題とする写真がある。
 飛鳥時代の藤原京のようであるが、詳しい
出土場所、出土した時期、出典は良く判らな
い。成立年代は、図の下に7~8世紀、繰り
返すが、西暦700年前後の藤原京の時代の
墨書木札か木簡のように、私には取れる旨の
説明がある。

若狭湾木簡.gif

 上図のように、将棋の駒名の奔人や泰山を
思わせる「泰人大山」と、私には読める文字
が、縦書きされている。荷札のようにも見え
る物品であり、

土器であれば、中国人帰化人が先祖の崇拝用
に使った祭祀用の遺物であると、私には結論
されるような内容

である。
 ほかの人名が書かれていると説明されてい
る木簡と、抱き合わせのように私にはとれる
内容の記載が前記成書の同ページ付近に在り、
大山氏という泰族の、塩の製造に関連した人
名が書かれている可能性を否定は出来無いが、

公平に見て、送ってきた祭祀用土器の荷札

のようにも、私には思える。
 藤原京等にて、飛鳥時代の末期にも帰化人
秦氏の末裔が、山岳信仰・山岳での先祖の、
鉱物探索の言い伝えに基づく先祖崇拝をする
という内容で、平地で祭祀が依然として行わ
れていたというような、経緯を表しているよ
うに見えると、私はこの「荷札」木簡を見て
疑う。
 すなわち、祭祀用遺物が墨書土器では無く、
木札で出土した、比較的珍しいケースかもし
れないように、私は考えるという訳である。
(2023/11/27)

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